図書館の魔女 第1巻 読了です
2020年2月23日 読書図書館の魔女 第1巻
講談社 2016年4月15日 第一刷発行 2016年8月3日第6刷発行
高田大介(たかだ だいすけ)
予想していた内容と大きく外れるような物語に出合うと、楽しくてしょうがない。
図書館の魔女。タイトルだけは書店で見ていたので気になっていましたけど、ようやく読んでみようと手に取りました。
はい、やられました。
魔女の定義はさておいて、魔女といえば怪しげな術を使い、辺境に一人で住み、何かあれば現世に影響を及ぼすべく暗躍する。おおよそこのイメージではないかと思います。
この作品を読むと、なるほど魔女には間違いないと感じますが、作家さんの想像力には本当に頭が下がります。
この作品は、元々単行本上下巻で完結したいたものを文庫化するにあたり、全4巻に分冊して発行されたそうなので、この第1巻については序盤ですね。まずは魔女の周囲について紹介し、第2巻へつなげていく。
まずは主人公である魔女のマツリカ。魔女の側近は2人でハルカゼとキリン。そして、マツリカの対となる主人公はキリヒト。物語は、このキリヒトが自分が育った場所を離れ、マツリカの元に仕えるところから始まります。
そもそも、なぜ「図書館」の「魔女」なのか。
各国には当然のように図書館はある。日常、知りたいことがあるならば、その図書館で事足りる。
しかし、世の中にはさらなる知識を渇望している者がいる。そうした者たちに、古くから頼られていたのが「高い塔」。この高い塔にマツリカの図書館はあり、その図書館で数々の言語を操り、策を巡らせる。人々から畏怖されるがゆえの魔女という呼び名。
うーん、すごい設定だ。。。
これほどの知識の塊のようなマツリカが、自らの声を持たないという設定。誰よりも言葉を知り、操り、紡ぐことができる魔女が言葉を発することができない。
この設定はすごいよ。
小説なんだから、どうしたって言葉にしないと読者に何も伝わらないのに、言葉がしゃべれない主人公。
こんなん、期待して読むに決まってます。
言葉を伝える手段は、言葉を発するだけではないことは知っていますが、それを小説でどのように表現するのか。表現できたとして、読者はその光景を頭の中に思い浮かべることができるのかどうか。
この辺は気になるかもしれませんが、読んでみてほしい。すごいよ。
今作では、ストーリーの大半が少しづつ外堀を埋めているというか、マツリカの周囲を丁寧に描いていき、今後のストーリー展開に読者が付いてこれるように書いてあるように感じます。
まだまだハルカゼもキリンも側近としての顔しか見せていませんし、舞台も高い塔の周辺に限って書かれています。登場人物も地理も徐々に増えていくのは読んでいてありがたいですし、ストーリーに無理なくついていくことができるように思えます。
まだまだ序盤でこのはまりっぷり。
期待せざるをえないです。
それでは、ここからは触れていなかった「ネタバレ」を含みつつ、もう少し書いてみます。
ネタバレを読みたくない方は、ここで読むのをやめてください。
行数を10行くらい空けておきますね。
本当に読みますか?ネタバレありですよ?
では、書いていきます。
魔女といえば、膨大な時間を研究に使用し、あらゆる古今東西の知識に精通し、常人では存在すら忘れられているような言葉を操る。そんなイメージ。私の中では、特に多くの言葉を操るイメージが強かったので、この作品の主人公であるマツリカの「言葉を発することのできない魔女」という設定には驚かされました。
とはいえ、ゲームやファンタジーによく出てくるような怪しげな術を使う魔女ではなく、マツリカは膨大な知識をベースに必要な人に必要な策を授ける「軍師」のようなイメージですかね。それにしたって、言葉を発するのは重要な職業でしょうけど。
1巻を読んで最初に思ったことは、キリヒトの設定ですね。
登場からやけに忍者のような、何か明確な目的があって躾を受けたような、そんなイメージが思い浮かびました。そうなると、護衛であるとか、暗殺であるとか、偵察であるとか、体を動かすことを主にしている職業のためとは考えました。何せ本のタイトルが図書館の魔女です。そんな側近が必要かな。と思ったんですけど。
いやー、全然違った。
マツリカですら、先代の高い塔の魔法使いがわざわざ旧友の伝手まで使って、新しい図書館付きを呼び寄せたのかわかっていなかった場面がありました。この場面が1巻のハイライトだと思ってます。
キリヒトは身体の使い方や鋭敏な感覚は持ち合わせていても、言葉の読み書きは出来ません。図書館付きになるために呼ばれたはずなのに、言葉の読み書きができないというのは、なかなか致命的に感じます。
マツリカも感じていた、なぜキリヒトなのか?
これ、先代がそこまで考えて要求したのではないとおもうんですよね。あくまでも可能性として、マツリカならキリヒトを使って、従来の方法にとらわれない何かにつながれば、ってくらいの気持ちだったと思うんですよ。
そのうえで、マツリカの思い付きである「指話」。これは考えなかったなぁ。
たしかに手話の弱点として、話し相手が手話を理解していなければ、手話の通訳が必要になってします。この作品だとハルカゼがそうですね。それでも、ハルカゼの能力でそこまで困っていたわけではないのでしょうが、後半に語られる「自分の思うままに詩を詠ずる」ことに気づいたときに、マツリカの素直な感情が外面にでていたことから、できることとしたいことは同じではないのだな、とは感じました。
もちろん、会話としての指話は、手話と異なりマツリカも通訳者であるキリヒトも「相手に正対して話すことはできる」点で、ただの言葉だけではない表情や目の動き等の細かい気持ちを併せて伝えることが可能になる。これは、駆け引きをする場合において大きなポイントになることでしょう。目や表情、体の動きには感情が出てしまうことが多々ありますから。
それ以上に、詩を詠ずることができると気が付いたときのマツリカの夢中になった感じは、幼さを感じさせるような、喜びの感情を素直に表にだした嬉しさが感じられ、印象に残る場面でした。
まだまだ1巻。敵対するような勢力も出てきて、うまくマツリカがあしらう場面、キリヒトの一瞬を逃さない洞察力の高さ、勢力が入り乱れる様、読み応えがあり続きも気になりますね。
最後に出てきた古い水路の存在といい、あちこちに伏線と思われるものをばらまいた状態で2巻に続くので、近いうちに読み進めたいと思います。
講談社 2016年4月15日 第一刷発行 2016年8月3日第6刷発行
高田大介(たかだ だいすけ)
予想していた内容と大きく外れるような物語に出合うと、楽しくてしょうがない。
図書館の魔女。タイトルだけは書店で見ていたので気になっていましたけど、ようやく読んでみようと手に取りました。
はい、やられました。
魔女の定義はさておいて、魔女といえば怪しげな術を使い、辺境に一人で住み、何かあれば現世に影響を及ぼすべく暗躍する。おおよそこのイメージではないかと思います。
この作品を読むと、なるほど魔女には間違いないと感じますが、作家さんの想像力には本当に頭が下がります。
この作品は、元々単行本上下巻で完結したいたものを文庫化するにあたり、全4巻に分冊して発行されたそうなので、この第1巻については序盤ですね。まずは魔女の周囲について紹介し、第2巻へつなげていく。
まずは主人公である魔女のマツリカ。魔女の側近は2人でハルカゼとキリン。そして、マツリカの対となる主人公はキリヒト。物語は、このキリヒトが自分が育った場所を離れ、マツリカの元に仕えるところから始まります。
そもそも、なぜ「図書館」の「魔女」なのか。
各国には当然のように図書館はある。日常、知りたいことがあるならば、その図書館で事足りる。
しかし、世の中にはさらなる知識を渇望している者がいる。そうした者たちに、古くから頼られていたのが「高い塔」。この高い塔にマツリカの図書館はあり、その図書館で数々の言語を操り、策を巡らせる。人々から畏怖されるがゆえの魔女という呼び名。
うーん、すごい設定だ。。。
これほどの知識の塊のようなマツリカが、自らの声を持たないという設定。誰よりも言葉を知り、操り、紡ぐことができる魔女が言葉を発することができない。
この設定はすごいよ。
小説なんだから、どうしたって言葉にしないと読者に何も伝わらないのに、言葉がしゃべれない主人公。
こんなん、期待して読むに決まってます。
言葉を伝える手段は、言葉を発するだけではないことは知っていますが、それを小説でどのように表現するのか。表現できたとして、読者はその光景を頭の中に思い浮かべることができるのかどうか。
この辺は気になるかもしれませんが、読んでみてほしい。すごいよ。
今作では、ストーリーの大半が少しづつ外堀を埋めているというか、マツリカの周囲を丁寧に描いていき、今後のストーリー展開に読者が付いてこれるように書いてあるように感じます。
まだまだハルカゼもキリンも側近としての顔しか見せていませんし、舞台も高い塔の周辺に限って書かれています。登場人物も地理も徐々に増えていくのは読んでいてありがたいですし、ストーリーに無理なくついていくことができるように思えます。
まだまだ序盤でこのはまりっぷり。
期待せざるをえないです。
それでは、ここからは触れていなかった「ネタバレ」を含みつつ、もう少し書いてみます。
ネタバレを読みたくない方は、ここで読むのをやめてください。
行数を10行くらい空けておきますね。
本当に読みますか?ネタバレありですよ?
では、書いていきます。
魔女といえば、膨大な時間を研究に使用し、あらゆる古今東西の知識に精通し、常人では存在すら忘れられているような言葉を操る。そんなイメージ。私の中では、特に多くの言葉を操るイメージが強かったので、この作品の主人公であるマツリカの「言葉を発することのできない魔女」という設定には驚かされました。
とはいえ、ゲームやファンタジーによく出てくるような怪しげな術を使う魔女ではなく、マツリカは膨大な知識をベースに必要な人に必要な策を授ける「軍師」のようなイメージですかね。それにしたって、言葉を発するのは重要な職業でしょうけど。
1巻を読んで最初に思ったことは、キリヒトの設定ですね。
登場からやけに忍者のような、何か明確な目的があって躾を受けたような、そんなイメージが思い浮かびました。そうなると、護衛であるとか、暗殺であるとか、偵察であるとか、体を動かすことを主にしている職業のためとは考えました。何せ本のタイトルが図書館の魔女です。そんな側近が必要かな。と思ったんですけど。
いやー、全然違った。
マツリカですら、先代の高い塔の魔法使いがわざわざ旧友の伝手まで使って、新しい図書館付きを呼び寄せたのかわかっていなかった場面がありました。この場面が1巻のハイライトだと思ってます。
キリヒトは身体の使い方や鋭敏な感覚は持ち合わせていても、言葉の読み書きは出来ません。図書館付きになるために呼ばれたはずなのに、言葉の読み書きができないというのは、なかなか致命的に感じます。
マツリカも感じていた、なぜキリヒトなのか?
これ、先代がそこまで考えて要求したのではないとおもうんですよね。あくまでも可能性として、マツリカならキリヒトを使って、従来の方法にとらわれない何かにつながれば、ってくらいの気持ちだったと思うんですよ。
そのうえで、マツリカの思い付きである「指話」。これは考えなかったなぁ。
たしかに手話の弱点として、話し相手が手話を理解していなければ、手話の通訳が必要になってします。この作品だとハルカゼがそうですね。それでも、ハルカゼの能力でそこまで困っていたわけではないのでしょうが、後半に語られる「自分の思うままに詩を詠ずる」ことに気づいたときに、マツリカの素直な感情が外面にでていたことから、できることとしたいことは同じではないのだな、とは感じました。
もちろん、会話としての指話は、手話と異なりマツリカも通訳者であるキリヒトも「相手に正対して話すことはできる」点で、ただの言葉だけではない表情や目の動き等の細かい気持ちを併せて伝えることが可能になる。これは、駆け引きをする場合において大きなポイントになることでしょう。目や表情、体の動きには感情が出てしまうことが多々ありますから。
それ以上に、詩を詠ずることができると気が付いたときのマツリカの夢中になった感じは、幼さを感じさせるような、喜びの感情を素直に表にだした嬉しさが感じられ、印象に残る場面でした。
まだまだ1巻。敵対するような勢力も出てきて、うまくマツリカがあしらう場面、キリヒトの一瞬を逃さない洞察力の高さ、勢力が入り乱れる様、読み応えがあり続きも気になりますね。
最後に出てきた古い水路の存在といい、あちこちに伏線と思われるものをばらまいた状態で2巻に続くので、近いうちに読み進めたいと思います。
読者による文学賞の二次選考 レビュー8冊目です
2020年2月18日 読書それでは、読者による文学賞の二次選考レビューです。
今回8冊目の本はこちらになります。
うつせみ屋奇譚 妖しのお宿と消えた浮世絵
KADOKAWA 2019年2月25日 初版発行
遠藤由実子(えんどう ゆみこ)
この読後感は、過去に体験したものに似ている感じがします。
「西の魔女が死んだ(梨木香歩)」
この本を読んだときに感じた感覚ととても似ており、気持ちが落ち着くような、清涼感で満たされるような、そんな感じを受けました。
全く内容は異なるのに、なぜなのでしょう。
物語は内向的な女の子「鈴」が、転校を機にそれまでの日常を失ってしまったところから始まります。親の仕事の都合での引っ越しで、大好きだった祖父母の家に住むことになります。私も引っ越しの経験がありますが、すでに作られている仲良しグループやお互いに顔や名前は知っているグループに飛び込むには、なかなか勇気のいる行動だと思います。
祖父が生きていてくれればまた違った生活になったでしょうが。残念ながら、大好きだった祖父は他界していました。この祖父が鈴に浮世絵の楽しさを教えてくれた方。自分でも浮世絵を描き、可愛い孫が興味を示してくれたことが嬉しくて、次々と浮世絵を見せていきます。喜ぶ鈴が最後に見て、一番気に入った浮世絵。それが祖父が子供の頃に一度だけ体験した、子供にしか視ることができない宿屋「うつせみ屋」を描いた祖父の作品でした。
最初から浮世絵の話で展開するところが、なかなか興味深く、ストーリーにぐいぐい引き込まれます。
浮世絵に興味を示す小学生ってのはなかなか珍しいですが、祖父の説明から始まり、浮世絵の楽しみ方を教えてくれることで、私たち読者も浮世絵についての知識を得ることができ、焦点がぼやけることなく読んでいけます。
浮世絵って、多くの方が知っている存在ではありますが、詳しいことまではわからない方が大多数だと思います。あまり説明にページは割かず、それでもストーリーを追うに困らないように、それとなく説明が書かれているところは嬉しいですよね。
小学生が主人公なので、特に鈴は内向的という設定だったりするので、鈴の精神的な部分での成長を見届けながらストーリーは進んでいきます。学校での出来事、家での出来事、うつせみ屋での出来事、そういった多くの出来事は、少しづつ、確実に鈴を成長させてくれます。
学校に行くのがつらかった少女が、勇気を出してクラスメイトに話しかけ、気の合う友達ができる。
友達と訪れるうつせみ屋では、多くの妖怪が鈴に対して対等に話しかけ、説明し、相手をしてくれる。
鈴はストーリーが進むにつれて、一歩。また一歩と前に進むことができるようになっていきます。
それは、鈴という存在に対して、しっかりと向き合ってくれた友達やうつせみ屋の妖怪達から得る部分も大きかったのでしょう。
まさに、ひと夏の成長です。
うつせみ屋は子供にしか視えないそうです。
私は残念ながらうつせみ屋を視ることはできません。ですので、いつかまた別の話でうつせみ屋での出来事を垣間見せてくれることを期待したいです。作者である遠藤さんはこの作品がデビュー作とのことですが、遠藤さんならもっともっと成長した鈴と、浮世絵に興ずる妖怪達の姿を見せてくれると思います。
そう思えるくらい、素晴らしい才能の作家さんと素敵な作品だと感じました。
そうそう、これは伝えておかないと。
この本は、これから読書を始めようと思ってる方や、久々に読書をしたいと考えている方には、全力でおすすめしたい一冊です。物語として綺麗に完成されているし、ページ数も多からず少なからずで読み応えがある。出てくるキャラクター達は魅力的で、キーアイテムが浮世絵というのもわかりやすい。
文体も丁寧で読みにくいことは全くなく、全体的に爽やかな、清涼感に満ちた雰囲気を漂わせています。
うつせみ屋で不思議な体験をしてみましょうよ。
それでは、ここからは触れていなかった「ネタバレ」を含みつつ、もう少し書いてみます。
ネタバレを読みたくない方は、ここで読むのをやめてください。
行数を10行くらい空けておきますね。
本当に読みますか?ネタバレありですよ?
では、書いていきます。
本当に清涼感に満ちた作品でした。
基本的にミステリーやSFを好んで読むため、このような作品は久しぶりに読みましたが、一気にもっていかれました。
デビュー作でこれだけの作品を世に出してしまうのが素晴らしい。もちろん、私が知らないだけで、この作品が出版される前には、完成はしても世に出ることのなかった物語が多数あるかもしれません。
ですが、この作品を発表できたことで、作者の遠藤さんは大きな一歩を踏み出せたのではないでしょうか。
どのような偉大な足跡でも、最初の一歩がないと作ることはできません。そういった意味では、遠藤さんの一歩は力強く、次に続く一歩になりえたと思います。
私は祖父母と暮らした経験がないため、お盆に会ったことくらいしか記憶がありません。その記憶の中でも、祖父とはあまり話をしたことはなく、どちらかというと寡黙な方だったと思います。
それでも、祖父母と夏休みの数日間に過ごすのは楽しみで、畑で収穫した野菜を食べたり、とうもろこしを茹でたり。ときには、怖い話を聞かされて眠れなくなったり。
祖父と仲良くお話をした記憶があまりない私でさえそうなのですから、浮世絵という共通項でつながれた鈴と祖父が一緒にいれば、時間を忘れるくらい楽しかったことでしょう。
その祖父が見せてくれた最後の一枚。縁側で夕涼みをしている、着物を着た妖怪達の浮世絵。
祖父が描いた「うつせみ屋」という子供にしか視ることのできない宿屋。
すごいなぁ。これでまだプロローグだもん。ここから本編だもんなぁ。
この作品で印象に残る登場人物といえば、晴彦さんでしょう。
うつせみ屋の若い主人。若いとはいえ、鈴の見た目からの判断ですし、妖怪達が泊まる宿屋の主人ですから見た目と実年齢が合うとも限りません。
今作では宿屋の主人という素性の他は明かされていませんが、深読みしないで考えれば、こうだといいなぁという願望も含めて、晴彦さんは鈴の祖父である永峰萩一郎のお師匠さんじゃないかなぁって。
浮世絵は多くの方が知っていますが、浮世絵を描いている人となるとそこまで多いわけではないと思うのです。で、あるならば、どんなに距離があったとしても浮世絵を描ける人がみつかれば習いに行くと思うんですよね。
祖父は幼少の頃うつせみ屋に行ったことがあるらしいし、そこで浮世絵を見て、教えてもらおうと考えるのは自然な流れだと思うんです。
そうであってほしいし、そうでないほうがいいような気もするし。
そういえば、晴彦の鈴に対する応対の仕方もいいですよね。
鈴が困っていても、一から十まで面倒を見るわけではなく、少し離れた距離感で、それでも鈴に行動してもらえるように助言を与えてくれる。困っているからといって無暗に手を出すわけではなく、遠回りでも鈴が自分で解決できるように導いてくれる存在。
うつせみ屋は子供にしか視えない宿屋。この「子供」という設定がどのくらいなのかはっきりと書かれていませんが、夏を超え、少し成長した鈴が中学生になっても、うつせみ屋は待っていてくれるのでしょうか。
私たちがうつせみ屋での日常を視たいと思っても、それはかないません。
できれば鈴が、鈴ではなくてもうつせみ屋に入れる誰かに、今作の話の続きを教えてもらえると嬉しいですよね。
次にうつせみ屋を訪れることはできる日はいつになるのでしょうか。
今回8冊目の本はこちらになります。
うつせみ屋奇譚 妖しのお宿と消えた浮世絵
KADOKAWA 2019年2月25日 初版発行
遠藤由実子(えんどう ゆみこ)
この読後感は、過去に体験したものに似ている感じがします。
「西の魔女が死んだ(梨木香歩)」
この本を読んだときに感じた感覚ととても似ており、気持ちが落ち着くような、清涼感で満たされるような、そんな感じを受けました。
全く内容は異なるのに、なぜなのでしょう。
物語は内向的な女の子「鈴」が、転校を機にそれまでの日常を失ってしまったところから始まります。親の仕事の都合での引っ越しで、大好きだった祖父母の家に住むことになります。私も引っ越しの経験がありますが、すでに作られている仲良しグループやお互いに顔や名前は知っているグループに飛び込むには、なかなか勇気のいる行動だと思います。
祖父が生きていてくれればまた違った生活になったでしょうが。残念ながら、大好きだった祖父は他界していました。この祖父が鈴に浮世絵の楽しさを教えてくれた方。自分でも浮世絵を描き、可愛い孫が興味を示してくれたことが嬉しくて、次々と浮世絵を見せていきます。喜ぶ鈴が最後に見て、一番気に入った浮世絵。それが祖父が子供の頃に一度だけ体験した、子供にしか視ることができない宿屋「うつせみ屋」を描いた祖父の作品でした。
最初から浮世絵の話で展開するところが、なかなか興味深く、ストーリーにぐいぐい引き込まれます。
浮世絵に興味を示す小学生ってのはなかなか珍しいですが、祖父の説明から始まり、浮世絵の楽しみ方を教えてくれることで、私たち読者も浮世絵についての知識を得ることができ、焦点がぼやけることなく読んでいけます。
浮世絵って、多くの方が知っている存在ではありますが、詳しいことまではわからない方が大多数だと思います。あまり説明にページは割かず、それでもストーリーを追うに困らないように、それとなく説明が書かれているところは嬉しいですよね。
小学生が主人公なので、特に鈴は内向的という設定だったりするので、鈴の精神的な部分での成長を見届けながらストーリーは進んでいきます。学校での出来事、家での出来事、うつせみ屋での出来事、そういった多くの出来事は、少しづつ、確実に鈴を成長させてくれます。
学校に行くのがつらかった少女が、勇気を出してクラスメイトに話しかけ、気の合う友達ができる。
友達と訪れるうつせみ屋では、多くの妖怪が鈴に対して対等に話しかけ、説明し、相手をしてくれる。
鈴はストーリーが進むにつれて、一歩。また一歩と前に進むことができるようになっていきます。
それは、鈴という存在に対して、しっかりと向き合ってくれた友達やうつせみ屋の妖怪達から得る部分も大きかったのでしょう。
まさに、ひと夏の成長です。
うつせみ屋は子供にしか視えないそうです。
私は残念ながらうつせみ屋を視ることはできません。ですので、いつかまた別の話でうつせみ屋での出来事を垣間見せてくれることを期待したいです。作者である遠藤さんはこの作品がデビュー作とのことですが、遠藤さんならもっともっと成長した鈴と、浮世絵に興ずる妖怪達の姿を見せてくれると思います。
そう思えるくらい、素晴らしい才能の作家さんと素敵な作品だと感じました。
そうそう、これは伝えておかないと。
この本は、これから読書を始めようと思ってる方や、久々に読書をしたいと考えている方には、全力でおすすめしたい一冊です。物語として綺麗に完成されているし、ページ数も多からず少なからずで読み応えがある。出てくるキャラクター達は魅力的で、キーアイテムが浮世絵というのもわかりやすい。
文体も丁寧で読みにくいことは全くなく、全体的に爽やかな、清涼感に満ちた雰囲気を漂わせています。
うつせみ屋で不思議な体験をしてみましょうよ。
それでは、ここからは触れていなかった「ネタバレ」を含みつつ、もう少し書いてみます。
ネタバレを読みたくない方は、ここで読むのをやめてください。
行数を10行くらい空けておきますね。
本当に読みますか?ネタバレありですよ?
では、書いていきます。
本当に清涼感に満ちた作品でした。
基本的にミステリーやSFを好んで読むため、このような作品は久しぶりに読みましたが、一気にもっていかれました。
デビュー作でこれだけの作品を世に出してしまうのが素晴らしい。もちろん、私が知らないだけで、この作品が出版される前には、完成はしても世に出ることのなかった物語が多数あるかもしれません。
ですが、この作品を発表できたことで、作者の遠藤さんは大きな一歩を踏み出せたのではないでしょうか。
どのような偉大な足跡でも、最初の一歩がないと作ることはできません。そういった意味では、遠藤さんの一歩は力強く、次に続く一歩になりえたと思います。
私は祖父母と暮らした経験がないため、お盆に会ったことくらいしか記憶がありません。その記憶の中でも、祖父とはあまり話をしたことはなく、どちらかというと寡黙な方だったと思います。
それでも、祖父母と夏休みの数日間に過ごすのは楽しみで、畑で収穫した野菜を食べたり、とうもろこしを茹でたり。ときには、怖い話を聞かされて眠れなくなったり。
祖父と仲良くお話をした記憶があまりない私でさえそうなのですから、浮世絵という共通項でつながれた鈴と祖父が一緒にいれば、時間を忘れるくらい楽しかったことでしょう。
その祖父が見せてくれた最後の一枚。縁側で夕涼みをしている、着物を着た妖怪達の浮世絵。
祖父が描いた「うつせみ屋」という子供にしか視ることのできない宿屋。
すごいなぁ。これでまだプロローグだもん。ここから本編だもんなぁ。
この作品で印象に残る登場人物といえば、晴彦さんでしょう。
うつせみ屋の若い主人。若いとはいえ、鈴の見た目からの判断ですし、妖怪達が泊まる宿屋の主人ですから見た目と実年齢が合うとも限りません。
今作では宿屋の主人という素性の他は明かされていませんが、深読みしないで考えれば、こうだといいなぁという願望も含めて、晴彦さんは鈴の祖父である永峰萩一郎のお師匠さんじゃないかなぁって。
浮世絵は多くの方が知っていますが、浮世絵を描いている人となるとそこまで多いわけではないと思うのです。で、あるならば、どんなに距離があったとしても浮世絵を描ける人がみつかれば習いに行くと思うんですよね。
祖父は幼少の頃うつせみ屋に行ったことがあるらしいし、そこで浮世絵を見て、教えてもらおうと考えるのは自然な流れだと思うんです。
そうであってほしいし、そうでないほうがいいような気もするし。
そういえば、晴彦の鈴に対する応対の仕方もいいですよね。
鈴が困っていても、一から十まで面倒を見るわけではなく、少し離れた距離感で、それでも鈴に行動してもらえるように助言を与えてくれる。困っているからといって無暗に手を出すわけではなく、遠回りでも鈴が自分で解決できるように導いてくれる存在。
うつせみ屋は子供にしか視えない宿屋。この「子供」という設定がどのくらいなのかはっきりと書かれていませんが、夏を超え、少し成長した鈴が中学生になっても、うつせみ屋は待っていてくれるのでしょうか。
私たちがうつせみ屋での日常を視たいと思っても、それはかないません。
できれば鈴が、鈴ではなくてもうつせみ屋に入れる誰かに、今作の話の続きを教えてもらえると嬉しいですよね。
次にうつせみ屋を訪れることはできる日はいつになるのでしょうか。
読者による文学賞の二次選考 レビュー7冊目です
2020年2月17日 読書それでは、読者による文学賞の二次選考レビューです。
今回7冊目の本はこちらになります。
スズメの事ム所 駆け出し探偵と下町の怪人たち
文藝春秋社 2019年7月15日 第1刷発行
朱川湊人(しゅかわ みなと)
この表紙。。。
幼少期に、学校の図書館で怪人20面相だの、ルパンだの、夢中でむさぼり読んだことがあるのであれば、今すぐこの作品を読んだほうがいいですよ。子供の頃に図書館で読みふけって、いつの間にか外も薄暗くなって、慌てて家路につく。いやー、あの頃の読書は楽しかったなぁ、、、
この作品は、現時点で続巻が出版される予定があるのかどうかわかりませんが、まずは「探偵駆け出し編」のような扱いになっていると思います。事件の内容は殺人であるとか強盗であるとか、そういった血なまぐさいこととは縁がありません。これはなかなかポイントが高いような気がします。
事件はおきても近所の困りごと、そんなほのぼのとした感じが、主人公である涼(スズム)の駆け出し探偵のドタバタ感とうまく混ざり合って、何かとても大きな事件に取り組んでいるような感じさえさせます。やってることは物探し程度なんですが。
スズムの周りに集まってくる人物もなかなかに多彩。若い方がこの作品を読んでどう感じるかはわかりませんが、私のようなある程度年齢が高めの方であれば、登場人物に見え隠れする胡散臭さのような、裏がありそうな、そんな雰囲気を醸し出しているところも、またたまらないのです。
今作は短編連作の形をとっており、どのようにして名探偵?のスズムが誕生するのかを書いています。短編は全て読みやすく、登場人物も短編が進むにつれて一人また一人と再登場してくれる方が多く、把握しやすいのはとても親切で、うまく構成していると感じます。
話の展開に無理を感じさせず、事件の規模が本当にありそうだったりもするし現実で起きても違和感もありません。そんな事件をいかにも大事件のように扱って書ききっている。このあたりが本当にうまい。
読書が苦手な方でも、すんなりと読めるのではないかと思います。しばらく読書から離れていた方でも、昔を思い出して読んでみてはいかがでしょうか。
ちなみに、各短編の冒頭に江戸川乱歩作品の文章が引用されています。私は、乱歩作品を読んだことはありますが、そこまで詳しくはないため、なぜその文章が引用されたのか、まではわかりませんでした。
もしかしたら、それがわかれば、もっと内容に引き込まれるのかもしれませんね。
それでは、ここからは触れていなかった「ネタバレ」を含みつつ、もう少し書いてみます。
ネタバレを読みたくない方は、ここで読むのをやめてください。
行数を10行くらい空けておきますね。
本当に読みますか?ネタバレありですよ?
では、書いていきます。
一昔前ならまだしも、現代の日本を舞台にしたうえで、探偵の活躍する話を書こうとする。知っている方も多いと思うのですが、現実の探偵(興信所)は浮気調査だったり素行調査をするのがメインのお仕事で、殺人事件を華麗に解決!ということは、まずありえない。これはスズムも物語中で語っていますね。
スズムも素人が探偵なんてできるわけがないと考えていたのですが、なぜ探偵になってしまったのか。このあたりは読んでもらうのが一番いいのですが、やはり人の思い込みや勢いというものはすさまじい力を持っているのですね。スズムの周囲に集まってくる方々のキャラの濃いこと。これだけ自分勝手な押しの強い方々が揃えば、そりゃ探偵になる方向に流されるでしょうね。
さて、今作の短編は6編からなっており、現時点で続編が出るかどうかわかりませんが、最後の「まぼろし楽隊」というお話では、正式に探偵事務所を立ち上げたスズムの元にB・Bと名乗る人間からの挑戦状が飛び込んできます。物語の最後に、スズムに挑戦をするからには、おそらく次巻以降でスズムとB・Bの対決が書かれていくのでしょう。それはそれで楽しみなのですが、物語の途中から読者としては事件よりも気になることがあると思うのです。私もそうでした。
スズムの家族は母親がすでに他界しており、高齢者住宅に住むミステリー作家の父親、結婚してニューヨークに住む妹の幸、そして12年前の6月に海で行方不明となった弟の甘。
この弟に関しての失踪事件が物語の最後とつながってくる。
スズムの父親はミステリー作家だったため、家にもミステリー小説が大量に置かれており、スズムも甘もその中で自然と本を読むようになり、全ての子供がそうであるように「大きくなったら名探偵になる」と発言もしていた。スズムはそれを望んでいたわけではなかったが、探偵として事務所を構えることになっている。では、弟の甘は何になりたかったのか?甘は「お兄さんが名探偵になるのなら、自分は怪人二十面相になって、名探偵となったお兄さんの前に姿を現す」と言っていたらしいのです。
運動ができて、普通ならまだ海に入る時期ではない6月の海に姿を消した弟の甘。たとえまだ海水温が低いとはいえ、泳げないわけでもない。甘が消えてしまうには不自然な出来事が多い。
そのような中で、スズムが探偵事務所を開設したとたんに、B・Bと名乗る人間がスズムの前に立ちふさがった。
これを偶然と片付けてもいいものだろうか?
甘の生存情報とも思われる話は、第5話の「スキマ男のレモン」でも述べられている。
どうやら次作以降は甘の所在をスズムがつかめるか、ということがメインテーマとなりそうなところまではわかりました。
おそらく、甘にかかわる話はかなりシリアスな内容になるのでしょう。
苦労をすることは明白ですが、もしかしたらスズムにとっては、周囲の人間が持ち込んでくる難問?を解決するほうが大変かもしれません。
ですが、日常の困りごとを解決しているスズムのほうが、似合っているし、幸せそうな気もするのです。
今回7冊目の本はこちらになります。
スズメの事ム所 駆け出し探偵と下町の怪人たち
文藝春秋社 2019年7月15日 第1刷発行
朱川湊人(しゅかわ みなと)
この表紙。。。
幼少期に、学校の図書館で怪人20面相だの、ルパンだの、夢中でむさぼり読んだことがあるのであれば、今すぐこの作品を読んだほうがいいですよ。子供の頃に図書館で読みふけって、いつの間にか外も薄暗くなって、慌てて家路につく。いやー、あの頃の読書は楽しかったなぁ、、、
この作品は、現時点で続巻が出版される予定があるのかどうかわかりませんが、まずは「探偵駆け出し編」のような扱いになっていると思います。事件の内容は殺人であるとか強盗であるとか、そういった血なまぐさいこととは縁がありません。これはなかなかポイントが高いような気がします。
事件はおきても近所の困りごと、そんなほのぼのとした感じが、主人公である涼(スズム)の駆け出し探偵のドタバタ感とうまく混ざり合って、何かとても大きな事件に取り組んでいるような感じさえさせます。やってることは物探し程度なんですが。
スズムの周りに集まってくる人物もなかなかに多彩。若い方がこの作品を読んでどう感じるかはわかりませんが、私のようなある程度年齢が高めの方であれば、登場人物に見え隠れする胡散臭さのような、裏がありそうな、そんな雰囲気を醸し出しているところも、またたまらないのです。
今作は短編連作の形をとっており、どのようにして名探偵?のスズムが誕生するのかを書いています。短編は全て読みやすく、登場人物も短編が進むにつれて一人また一人と再登場してくれる方が多く、把握しやすいのはとても親切で、うまく構成していると感じます。
話の展開に無理を感じさせず、事件の規模が本当にありそうだったりもするし現実で起きても違和感もありません。そんな事件をいかにも大事件のように扱って書ききっている。このあたりが本当にうまい。
読書が苦手な方でも、すんなりと読めるのではないかと思います。しばらく読書から離れていた方でも、昔を思い出して読んでみてはいかがでしょうか。
ちなみに、各短編の冒頭に江戸川乱歩作品の文章が引用されています。私は、乱歩作品を読んだことはありますが、そこまで詳しくはないため、なぜその文章が引用されたのか、まではわかりませんでした。
もしかしたら、それがわかれば、もっと内容に引き込まれるのかもしれませんね。
それでは、ここからは触れていなかった「ネタバレ」を含みつつ、もう少し書いてみます。
ネタバレを読みたくない方は、ここで読むのをやめてください。
行数を10行くらい空けておきますね。
本当に読みますか?ネタバレありですよ?
では、書いていきます。
一昔前ならまだしも、現代の日本を舞台にしたうえで、探偵の活躍する話を書こうとする。知っている方も多いと思うのですが、現実の探偵(興信所)は浮気調査だったり素行調査をするのがメインのお仕事で、殺人事件を華麗に解決!ということは、まずありえない。これはスズムも物語中で語っていますね。
スズムも素人が探偵なんてできるわけがないと考えていたのですが、なぜ探偵になってしまったのか。このあたりは読んでもらうのが一番いいのですが、やはり人の思い込みや勢いというものはすさまじい力を持っているのですね。スズムの周囲に集まってくる方々のキャラの濃いこと。これだけ自分勝手な押しの強い方々が揃えば、そりゃ探偵になる方向に流されるでしょうね。
さて、今作の短編は6編からなっており、現時点で続編が出るかどうかわかりませんが、最後の「まぼろし楽隊」というお話では、正式に探偵事務所を立ち上げたスズムの元にB・Bと名乗る人間からの挑戦状が飛び込んできます。物語の最後に、スズムに挑戦をするからには、おそらく次巻以降でスズムとB・Bの対決が書かれていくのでしょう。それはそれで楽しみなのですが、物語の途中から読者としては事件よりも気になることがあると思うのです。私もそうでした。
スズムの家族は母親がすでに他界しており、高齢者住宅に住むミステリー作家の父親、結婚してニューヨークに住む妹の幸、そして12年前の6月に海で行方不明となった弟の甘。
この弟に関しての失踪事件が物語の最後とつながってくる。
スズムの父親はミステリー作家だったため、家にもミステリー小説が大量に置かれており、スズムも甘もその中で自然と本を読むようになり、全ての子供がそうであるように「大きくなったら名探偵になる」と発言もしていた。スズムはそれを望んでいたわけではなかったが、探偵として事務所を構えることになっている。では、弟の甘は何になりたかったのか?甘は「お兄さんが名探偵になるのなら、自分は怪人二十面相になって、名探偵となったお兄さんの前に姿を現す」と言っていたらしいのです。
運動ができて、普通ならまだ海に入る時期ではない6月の海に姿を消した弟の甘。たとえまだ海水温が低いとはいえ、泳げないわけでもない。甘が消えてしまうには不自然な出来事が多い。
そのような中で、スズムが探偵事務所を開設したとたんに、B・Bと名乗る人間がスズムの前に立ちふさがった。
これを偶然と片付けてもいいものだろうか?
甘の生存情報とも思われる話は、第5話の「スキマ男のレモン」でも述べられている。
どうやら次作以降は甘の所在をスズムがつかめるか、ということがメインテーマとなりそうなところまではわかりました。
おそらく、甘にかかわる話はかなりシリアスな内容になるのでしょう。
苦労をすることは明白ですが、もしかしたらスズムにとっては、周囲の人間が持ち込んでくる難問?を解決するほうが大変かもしれません。
ですが、日常の困りごとを解決しているスズムのほうが、似合っているし、幸せそうな気もするのです。
読者による文学賞の二次選考 レビュー6冊目です
2020年2月16日 読書 コメント (2)それでは、読者による文学賞の二次選考レビューです。
今回6冊目の本はこちらになります。
ブリタンニア物語
文芸社 2019年4月15日 初版第1刷発行
十織(としき)
この作品の印象は「重い」です。
もっと言ってしまえば「重苦しい」です。
それは決して嫌な重さということではなく、人を取り巻く人間関係や時代という足枷、そのような人の能力ではどうすることもできない重さです。
主要な登場人物は三人。帝国の将軍ジェラルディンの息子ジャン、将軍の盟友ロッサリーニの娘フィオレンティナ、帝国と対立する存在であるバルバロスの英雄レッド・スイフト。この三人が、それぞれの立場で様々な状況を飲み込み、時代の流れに飛び込んでいく、そんな話。
ジャンに対する評価は読んだ人によって大きく変わりそうですが、私の中でジャンという人物は、幼いころから自分が進まざるを得ない道を理解し、自分の考える理想に向かって努力し、自分の立場を理解したうえで自分を演じていたように思えます。
本を愛し、思索に耽るという行為は、おそらく帝国の大将軍であり国を支えている父親の生きざまを見て、父親の力でさえ現状を打開できないことを解ってしまったため、力ではない何かで現状を打破しようと模索していたのではないかと思えて仕方ないのです。フィオレンティーナには叱責され、仲間たちからは嘲笑の対象とされたとしても、自分の運命に抗おうとする、そのうえで理想の道を模索するジャンの姿は、誇り高き男の姿に見えます。
最終的にはジャンは自分の立場を全うするのですが、その時のジャンの胸中を想像すれば苦しくて、悔しくて。途中から読むことが本当に辛かった。全てを飲み込んだうえで、自分の立場を演じ切るジャンの姿は、悲壮感しか感じられません。
滅びゆく世界の物語と帯に書かれていましたが、私は滅びゆく世界の中で、その世界の希望を紡ぐために努力し、実行をする、そんな男の物語ではないかと感じました。
本を読んだ感想が「辛い」というのは誉め言葉にはならないかもしれません。ですが、この作品においては、それほどまでに作品の世界観に入り込み、主人公の気持ちを理解しようともがくことができた、稀有なストーリーだったと断言できます。
ジャンはもちろん、それぞれの立場を務めた三人に感謝を捧げます。
それでは、ここからは触れていなかった「ネタバレ」を含みつつ、もう少し書いてみます。
ネタバレを読みたくない方は、ここで読むのをやめてください。
行数を10行くらい空けておきますね。
本当に読みますか?ネタバレありですよ?
では、書いていきます。
登場人物全員に何かしらの重さを感じてしまいます。
読んでいくにつれて、「これ、どうにかならないのか?」、「なぜそのような行動になるのか?」、「行動することは不可能なのか?」という気持ちが大きくなりました。
フィオレンティーナに関しては、やはり戦場に立つことは不可能だったのだろうか?という疑問です。いくら時代がそれを認めていなかったとはいえ、ここまで気性の荒い女性が座して運命を委ねるような行為を受け入れるとは思えないのです。ジャンを押しのけて、とまではいかないにしても、ジャンと共に戦場に立つことを選択しそうな気がするのです。
もちろん、それを許さないくらいに自分の意見を封殺される時代だったのかもしれませんが、戦場に立つフィオレンティーナを選択させてあげたいとは思いました。
レッド・スイフトに関しては、なぜ戦うことを選択したのか、という疑問ですね。レッド・スイフトほどの男であれば、ジェラルディンと講和を優位な条件で結ぶことも可能だろうし、帝国の人間を受け入れることもできるだろうし。とれる選択肢はかなりあったと思うのだけれど、彼が選んだのは帝国との戦争だったところに苦悩を感じます。
そして、ジャン。ジャンに関しては、物語中に語られた行動がベストだったのかな、とは思います。何をするにしても、ジャンは父親がいる以上は行動に制限というか、発言力が無かったでしょうし、傍らにフィオレンティーナがいる限り「女性よりも弱い」という評判が付きまとい、兵士たちからの信任は得ることは難しかったでしょう。だからといってフィオレンティーナを遠ざけるような男ではないと思うので、本当に全ての物事を飲み込んでいたのだと感じます。
それでも3人に共通していたことは、ブリタンニアという場所を次の時代につなげるためにそれぞれが覚悟を持っていたことでしょうか。ジャンは次のブリタンニアヲレッド・スイフトに託し、帝国に残る人についてはフィオレンティーナに託す。フィオレンティーナは戦場に立てなかった自分にジャンが託してきた帝国の残り火を守るために、自らが望む形ではないにせよ先頭に立ち指揮していく。レッド・スイフトもまた、帝国からブリタンニアを奪還した部族として、次なる外敵という驚異からブリタンニアを守っていく。
滅びゆく世界で未来を見据えて行動する若者達。物語中で書かれたこと以上の感情や気持ちは読者である私たちはわかりません。現代の自由な考え方中で生きている私たちは、いくら考えを巡らせてもジャン達の気持ちを推し量ることは不可能でしょう。
ですが、物語中でも物語の最後でも書かれているように、彼らの世代から数世代後の赤毛の娘の家に1冊の本が伝えられているそうです。この赤毛の娘が誰の娘なのかについては書かれていないのでここではふれません。ですがその伝えられている本の名称が「ジェラルディン回想録」であることから、想像はできるでしょう。
いつの日か、作者さんが「ジェラルディン回想録」をブリタニアンで写し取ってきてくれるかもしれませんので、それまで楽しみに待ってみます。
今回6冊目の本はこちらになります。
ブリタンニア物語
文芸社 2019年4月15日 初版第1刷発行
十織(としき)
この作品の印象は「重い」です。
もっと言ってしまえば「重苦しい」です。
それは決して嫌な重さということではなく、人を取り巻く人間関係や時代という足枷、そのような人の能力ではどうすることもできない重さです。
主要な登場人物は三人。帝国の将軍ジェラルディンの息子ジャン、将軍の盟友ロッサリーニの娘フィオレンティナ、帝国と対立する存在であるバルバロスの英雄レッド・スイフト。この三人が、それぞれの立場で様々な状況を飲み込み、時代の流れに飛び込んでいく、そんな話。
ジャンに対する評価は読んだ人によって大きく変わりそうですが、私の中でジャンという人物は、幼いころから自分が進まざるを得ない道を理解し、自分の考える理想に向かって努力し、自分の立場を理解したうえで自分を演じていたように思えます。
本を愛し、思索に耽るという行為は、おそらく帝国の大将軍であり国を支えている父親の生きざまを見て、父親の力でさえ現状を打開できないことを解ってしまったため、力ではない何かで現状を打破しようと模索していたのではないかと思えて仕方ないのです。フィオレンティーナには叱責され、仲間たちからは嘲笑の対象とされたとしても、自分の運命に抗おうとする、そのうえで理想の道を模索するジャンの姿は、誇り高き男の姿に見えます。
最終的にはジャンは自分の立場を全うするのですが、その時のジャンの胸中を想像すれば苦しくて、悔しくて。途中から読むことが本当に辛かった。全てを飲み込んだうえで、自分の立場を演じ切るジャンの姿は、悲壮感しか感じられません。
滅びゆく世界の物語と帯に書かれていましたが、私は滅びゆく世界の中で、その世界の希望を紡ぐために努力し、実行をする、そんな男の物語ではないかと感じました。
本を読んだ感想が「辛い」というのは誉め言葉にはならないかもしれません。ですが、この作品においては、それほどまでに作品の世界観に入り込み、主人公の気持ちを理解しようともがくことができた、稀有なストーリーだったと断言できます。
ジャンはもちろん、それぞれの立場を務めた三人に感謝を捧げます。
それでは、ここからは触れていなかった「ネタバレ」を含みつつ、もう少し書いてみます。
ネタバレを読みたくない方は、ここで読むのをやめてください。
行数を10行くらい空けておきますね。
本当に読みますか?ネタバレありですよ?
では、書いていきます。
登場人物全員に何かしらの重さを感じてしまいます。
読んでいくにつれて、「これ、どうにかならないのか?」、「なぜそのような行動になるのか?」、「行動することは不可能なのか?」という気持ちが大きくなりました。
フィオレンティーナに関しては、やはり戦場に立つことは不可能だったのだろうか?という疑問です。いくら時代がそれを認めていなかったとはいえ、ここまで気性の荒い女性が座して運命を委ねるような行為を受け入れるとは思えないのです。ジャンを押しのけて、とまではいかないにしても、ジャンと共に戦場に立つことを選択しそうな気がするのです。
もちろん、それを許さないくらいに自分の意見を封殺される時代だったのかもしれませんが、戦場に立つフィオレンティーナを選択させてあげたいとは思いました。
レッド・スイフトに関しては、なぜ戦うことを選択したのか、という疑問ですね。レッド・スイフトほどの男であれば、ジェラルディンと講和を優位な条件で結ぶことも可能だろうし、帝国の人間を受け入れることもできるだろうし。とれる選択肢はかなりあったと思うのだけれど、彼が選んだのは帝国との戦争だったところに苦悩を感じます。
そして、ジャン。ジャンに関しては、物語中に語られた行動がベストだったのかな、とは思います。何をするにしても、ジャンは父親がいる以上は行動に制限というか、発言力が無かったでしょうし、傍らにフィオレンティーナがいる限り「女性よりも弱い」という評判が付きまとい、兵士たちからの信任は得ることは難しかったでしょう。だからといってフィオレンティーナを遠ざけるような男ではないと思うので、本当に全ての物事を飲み込んでいたのだと感じます。
それでも3人に共通していたことは、ブリタンニアという場所を次の時代につなげるためにそれぞれが覚悟を持っていたことでしょうか。ジャンは次のブリタンニアヲレッド・スイフトに託し、帝国に残る人についてはフィオレンティーナに託す。フィオレンティーナは戦場に立てなかった自分にジャンが託してきた帝国の残り火を守るために、自らが望む形ではないにせよ先頭に立ち指揮していく。レッド・スイフトもまた、帝国からブリタンニアを奪還した部族として、次なる外敵という驚異からブリタンニアを守っていく。
滅びゆく世界で未来を見据えて行動する若者達。物語中で書かれたこと以上の感情や気持ちは読者である私たちはわかりません。現代の自由な考え方中で生きている私たちは、いくら考えを巡らせてもジャン達の気持ちを推し量ることは不可能でしょう。
ですが、物語中でも物語の最後でも書かれているように、彼らの世代から数世代後の赤毛の娘の家に1冊の本が伝えられているそうです。この赤毛の娘が誰の娘なのかについては書かれていないのでここではふれません。ですがその伝えられている本の名称が「ジェラルディン回想録」であることから、想像はできるでしょう。
いつの日か、作者さんが「ジェラルディン回想録」をブリタニアンで写し取ってきてくれるかもしれませんので、それまで楽しみに待ってみます。
読者による文学賞の二次選考 レビュー5冊目です
2020年2月13日 読書それでは、読者による文学賞の二次選考レビューです。
今回5冊目の本はこちらになります。
オカルトちゃんねる
KADOKAWA(富士見L文庫) 2019年10月15日 初版発行
lpp(えるぴーぴー)
4つの短編から構成されており、それぞれが掲示板上に書き込まれたレスという形式で構成された話です。
掲示板上で話が展開するという手法をとっているため、読みにくい印象を最初は受けましたが、そんなことは全くなかった。よくよく考えれば、日頃から掲示板を見てるんだから、読みにくいはずがないよね。
掲示板を模した書き方、若い年代を意識したような表紙からは想像もできないぐらいの、本格的なオカルト話です。
掲示板上で、と書いたけど、ネット上によくある掲示板。あれと同じように書き込みが重ねられることで、物語が進んでいく。もちろん、掲示板なので書き込んでいる人はIDくらいしか判別する手段がないけど、主要な登場人物は全員コテハンにしてくれるのは親切設定だと思う。
短編が4本書かれていて、主人公が「ミドリ」という名前の男と「咬みつき」という狐面の男の話が交互に語られていきます。ミドリは霊能力者ではないが、「ミヅチ」というかつて神の位にいたヘビ?のような存在を相方にしている。「咬みつき」は狐面を常につけており、本人いわく昔から親族にも嫌がられる顔だったため、成り行きで手に入れた狐面をいつもかぶっている。
主人公に関しては、かなり魅力的に設定されてる印象。オカルトを相手に立ち回る主人公なので、このくらいの設定のほうが違和感がないかもしれない。
タイトルとイケメン2人の表紙のイラスト、掲示板を利用するという現代寄りの設定からオカルトとはいえ、そこまで怖い話ではないと考えてましたが、かなり考えられた設定で、背筋がぞわっとするような話になっています。スレッドにオカルト話の情報提供者が書き込むことで話が進むため、この情報というものが圧倒的に不足しています。それどころか、スレッドには掲示板という設定上、多くの方が書き込みを行うため、虚実入り混じった話が飛び交ったりもします。
しかし、この情報提供者の書き込みが行われるまでの間がいいのです。なにせ与えられる情報が少ないため、読みながら妄想も膨らむってもんです。情報→妄想→情報→妄想、のような流れが楽しすぎる。いや、話は怖いんですけど。
結果、一気に読んでしまいました。
伝統的な怪談やホラー系の話は、最初から最後まで怖い雰囲気に包まれた状態で読み進めていくことが多いと思いますが、オカルトちゃんねるは、それこそ本物の掲示板のように煽ってくるような書き込み、ふざけた書き込みがちょこちょこ挟まれてくるため、そこまで怖いという感じはありません。
いや、よく読めば物語のキモはものすごく怖い結末だったりするのですが、そう感じさせないのが読みやすさにもつながってくるのかな、と感じました。
オカルトや怪談が気になりだしたら、かなりおすすめの一冊だと思います。
続き、読みたいです。
それでは、ここからは触れていなかった「ネタバレ」を含みつつ、もう少し書いてみます。
ネタバレを読みたくない方は、ここで読むのをやめてください。
行数を10行くらい空けておきますね。
本当に読みますか?ネタバレありですよ?
では、書いていきます。
この作者、文章のテンポというか、間というか、そういった構成がとても上手な方だと感じました。
文章を書く方って、物語の流れを色々考えて人物を登場させてり、会話を組み上げていくと思いますが、この作品は掲示板のレスを重ねることで物語が進行するため、通常の流れを意識していると違和感が生じてしまうと思うのです。
例えば、主人公の一人であるミドリの登場はかなり唐突です。地蔵峠という話は365レス目の「松」というコテハンの書き込みから始まります。366、367はその受け答えのようなレスですが、368レス目に「たすけて」とスレチのような書き込みが行われます。369~374まではこの368に対する返答や書き込み埋まるのですが、375レス目にIDの書かれていない「ミドリ」が唐突に「≫368 見ているか?現状を書き込め」と登場するのです。
通常、舞台の描写や主人公にまつわるエピソードなりを挟んでから登場することがだいたいだと思うのです。レスをつける、という掲示板での発言方法がこれまでにないストーリー展開を可能にしています。実際、物語はこのミドリ、松、そして368スレの書き込みを中心に進んでいきます。ただし、いくら掲示板を舞台にしたところで、何かを解決するためには主人公が舞台を移動する必要が出てきます。凄惨な場面であったり、緊迫した場面であったり、現地で「会話」が行われていたり、とてもスマホ等を用いて掲示板に書き込めないと思われる場面に遭遇します。この問題点を、作者は「一緒にいる第三者の書き込み」という方法で回避します。地蔵峠の話でいうと、冒頭にコテハンで書き込んだ「松」がその役目を負います。
このあたりの切り替えも、なるほどなぁという感じで読めました。無理を感じさせずに話を進めていくことができれば、読者はストーリーに入り込めますから。
ホラーや怪談は、いかに読者に恐怖感を感じてもらいながら、その世界観に浸ってもらうかにつきると思います。最初の短編「地蔵峠」では、西日本(高知県が有名のようです)でよく語られる「七人ミサキ」を引用しています。この「七人ミサキ」の話自体も恐ろしい話なので、興味があれば調べてみてください。作中では単に「ミサキ」と表現していました。
この作品では七人ミサキをそのまま引用するのではなく、「現代のミサキ」は際限なく人数を増やすやっかいなモノ、と定義して扱っています。
また、地蔵峠という響きにも、恐怖感を感じる方もいるでしょう。お地蔵様は恐怖の対象ではないはずですが、なぜか「お地蔵様が複数置いてある」光景というのは、恐怖感を感じてしまうことが多いようです。
実際のお地蔵様は正式には地蔵菩薩と呼ばれる存在で、人々の苦悩を無限の大慈悲の心で包み込み、救ってくれるありがたい菩薩です。
道祖神として、山道等に祭られていることも多く、それ故複数で置かれていることも多いのかもしれません。
作中の地蔵峠の数は8体で、これは七人ミサキが峠を越えてこないように一人多い数で置かれたということが、ミドリから語られます。
この話の作りかたも好きなのです。さりげなく、「ホラーの世界へようこそ!興味があれば七人ミサキも調べてみたら?」といった作者の意図が見え隠れするような気がします。
私が七人ミサキの存在を知っていたのは、学生だった頃「孔雀王」という密教のお坊さんが主人公の万がを読んでいて、その中に恐ろしいチカラを持った悪霊のように描かれていた記憶があったためです。そのおかげかどうか、ミサキという名称には「おお!あのミサキか!」ぐらいのインパクトをもって受け入れることができました。
はい、余談ですね。
自動峠の他の3つの短編についても、さらっと怖い話をそこまで恐怖感を感じないように書かれています。掲示板という形で書かれているのがいいのか、作者が意図的にそのように恐怖感を感じさせない書き方をしているのか、それはわかりません。ですが、ホラーの入り口としてオカルトちゃんねるは最適であると思うのです。
掲示板上で話が進んでいくため、アニメやマンガ等の別のメディアに登場することは難しそうです。ですが、ホラーや怪談は「視えないから恐ろしい」という側面もあると思います。視えないからこそ読者は自分の想像で場面を思い浮かべます。これが一番恐ろしい。想像のイメージと現実の隙間に視える光景はたまにシンクロし、予想もしない光景を視てしまったと思い込んでしまうときさえあります。
それでも、怖いもの見たさを満たすために、新しい話を読んでしまうのがホラーです。
何が言いたいかって、早く続編をお願いします。
今回5冊目の本はこちらになります。
オカルトちゃんねる
KADOKAWA(富士見L文庫) 2019年10月15日 初版発行
lpp(えるぴーぴー)
4つの短編から構成されており、それぞれが掲示板上に書き込まれたレスという形式で構成された話です。
掲示板上で話が展開するという手法をとっているため、読みにくい印象を最初は受けましたが、そんなことは全くなかった。よくよく考えれば、日頃から掲示板を見てるんだから、読みにくいはずがないよね。
掲示板を模した書き方、若い年代を意識したような表紙からは想像もできないぐらいの、本格的なオカルト話です。
掲示板上で、と書いたけど、ネット上によくある掲示板。あれと同じように書き込みが重ねられることで、物語が進んでいく。もちろん、掲示板なので書き込んでいる人はIDくらいしか判別する手段がないけど、主要な登場人物は全員コテハンにしてくれるのは親切設定だと思う。
短編が4本書かれていて、主人公が「ミドリ」という名前の男と「咬みつき」という狐面の男の話が交互に語られていきます。ミドリは霊能力者ではないが、「ミヅチ」というかつて神の位にいたヘビ?のような存在を相方にしている。「咬みつき」は狐面を常につけており、本人いわく昔から親族にも嫌がられる顔だったため、成り行きで手に入れた狐面をいつもかぶっている。
主人公に関しては、かなり魅力的に設定されてる印象。オカルトを相手に立ち回る主人公なので、このくらいの設定のほうが違和感がないかもしれない。
タイトルとイケメン2人の表紙のイラスト、掲示板を利用するという現代寄りの設定からオカルトとはいえ、そこまで怖い話ではないと考えてましたが、かなり考えられた設定で、背筋がぞわっとするような話になっています。スレッドにオカルト話の情報提供者が書き込むことで話が進むため、この情報というものが圧倒的に不足しています。それどころか、スレッドには掲示板という設定上、多くの方が書き込みを行うため、虚実入り混じった話が飛び交ったりもします。
しかし、この情報提供者の書き込みが行われるまでの間がいいのです。なにせ与えられる情報が少ないため、読みながら妄想も膨らむってもんです。情報→妄想→情報→妄想、のような流れが楽しすぎる。いや、話は怖いんですけど。
結果、一気に読んでしまいました。
伝統的な怪談やホラー系の話は、最初から最後まで怖い雰囲気に包まれた状態で読み進めていくことが多いと思いますが、オカルトちゃんねるは、それこそ本物の掲示板のように煽ってくるような書き込み、ふざけた書き込みがちょこちょこ挟まれてくるため、そこまで怖いという感じはありません。
いや、よく読めば物語のキモはものすごく怖い結末だったりするのですが、そう感じさせないのが読みやすさにもつながってくるのかな、と感じました。
オカルトや怪談が気になりだしたら、かなりおすすめの一冊だと思います。
続き、読みたいです。
それでは、ここからは触れていなかった「ネタバレ」を含みつつ、もう少し書いてみます。
ネタバレを読みたくない方は、ここで読むのをやめてください。
行数を10行くらい空けておきますね。
本当に読みますか?ネタバレありですよ?
では、書いていきます。
この作者、文章のテンポというか、間というか、そういった構成がとても上手な方だと感じました。
文章を書く方って、物語の流れを色々考えて人物を登場させてり、会話を組み上げていくと思いますが、この作品は掲示板のレスを重ねることで物語が進行するため、通常の流れを意識していると違和感が生じてしまうと思うのです。
例えば、主人公の一人であるミドリの登場はかなり唐突です。地蔵峠という話は365レス目の「松」というコテハンの書き込みから始まります。366、367はその受け答えのようなレスですが、368レス目に「たすけて」とスレチのような書き込みが行われます。369~374まではこの368に対する返答や書き込み埋まるのですが、375レス目にIDの書かれていない「ミドリ」が唐突に「≫368 見ているか?現状を書き込め」と登場するのです。
通常、舞台の描写や主人公にまつわるエピソードなりを挟んでから登場することがだいたいだと思うのです。レスをつける、という掲示板での発言方法がこれまでにないストーリー展開を可能にしています。実際、物語はこのミドリ、松、そして368スレの書き込みを中心に進んでいきます。ただし、いくら掲示板を舞台にしたところで、何かを解決するためには主人公が舞台を移動する必要が出てきます。凄惨な場面であったり、緊迫した場面であったり、現地で「会話」が行われていたり、とてもスマホ等を用いて掲示板に書き込めないと思われる場面に遭遇します。この問題点を、作者は「一緒にいる第三者の書き込み」という方法で回避します。地蔵峠の話でいうと、冒頭にコテハンで書き込んだ「松」がその役目を負います。
このあたりの切り替えも、なるほどなぁという感じで読めました。無理を感じさせずに話を進めていくことができれば、読者はストーリーに入り込めますから。
ホラーや怪談は、いかに読者に恐怖感を感じてもらいながら、その世界観に浸ってもらうかにつきると思います。最初の短編「地蔵峠」では、西日本(高知県が有名のようです)でよく語られる「七人ミサキ」を引用しています。この「七人ミサキ」の話自体も恐ろしい話なので、興味があれば調べてみてください。作中では単に「ミサキ」と表現していました。
この作品では七人ミサキをそのまま引用するのではなく、「現代のミサキ」は際限なく人数を増やすやっかいなモノ、と定義して扱っています。
また、地蔵峠という響きにも、恐怖感を感じる方もいるでしょう。お地蔵様は恐怖の対象ではないはずですが、なぜか「お地蔵様が複数置いてある」光景というのは、恐怖感を感じてしまうことが多いようです。
実際のお地蔵様は正式には地蔵菩薩と呼ばれる存在で、人々の苦悩を無限の大慈悲の心で包み込み、救ってくれるありがたい菩薩です。
道祖神として、山道等に祭られていることも多く、それ故複数で置かれていることも多いのかもしれません。
作中の地蔵峠の数は8体で、これは七人ミサキが峠を越えてこないように一人多い数で置かれたということが、ミドリから語られます。
この話の作りかたも好きなのです。さりげなく、「ホラーの世界へようこそ!興味があれば七人ミサキも調べてみたら?」といった作者の意図が見え隠れするような気がします。
私が七人ミサキの存在を知っていたのは、学生だった頃「孔雀王」という密教のお坊さんが主人公の万がを読んでいて、その中に恐ろしいチカラを持った悪霊のように描かれていた記憶があったためです。そのおかげかどうか、ミサキという名称には「おお!あのミサキか!」ぐらいのインパクトをもって受け入れることができました。
はい、余談ですね。
自動峠の他の3つの短編についても、さらっと怖い話をそこまで恐怖感を感じないように書かれています。掲示板という形で書かれているのがいいのか、作者が意図的にそのように恐怖感を感じさせない書き方をしているのか、それはわかりません。ですが、ホラーの入り口としてオカルトちゃんねるは最適であると思うのです。
掲示板上で話が進んでいくため、アニメやマンガ等の別のメディアに登場することは難しそうです。ですが、ホラーや怪談は「視えないから恐ろしい」という側面もあると思います。視えないからこそ読者は自分の想像で場面を思い浮かべます。これが一番恐ろしい。想像のイメージと現実の隙間に視える光景はたまにシンクロし、予想もしない光景を視てしまったと思い込んでしまうときさえあります。
それでも、怖いもの見たさを満たすために、新しい話を読んでしまうのがホラーです。
何が言いたいかって、早く続編をお願いします。
読者による文学賞の二次選考 レビュー4冊目です
2020年2月5日 読書それでは、読者による文学賞の二次選考レビューです。
今回4冊目の本はこちらになります。
魔眼の匣の殺人
東京創元社 2019年2月22日 初版
今村 昌弘(いまむら まさひろ)
いやー、この作者はやっぱり凄かった。
前作である「屍人荘の殺人」は密室の作り方が想像もできないような方法だったけど、斬新すぎて受け入れていいかどうかすごく迷った記憶があります。今作でも、なかなかの密室でしたが、まだ前作よりは受け入れることはできたかな。
とはいえ、予言というキーワードを異なる方法で重ねて表現し、その予言があるからこそ成立するの密室。これは実際に読んで感じてほしい。このあたりのストーリーに組み方は素晴らしいと思います。
主人公は前作と同じで葉村譲と剣崎比留子のコンビ。
この二人以外は前作に出てきた方は今作中には出てきませんが、物語の中で前作の内容に触れることがそこそこあるので、やはり前作は読んでからのほうが楽しめると思います。
もちろん、前作を読まずに今作から読んだとしても楽しめるとは思いますが、前作を読んだほうが絶対に内容を深く理解できます。
ミステリーなので、詳細を語ってしまうと楽しさが半減してしまうのでふわっと語ってみますが、今回は一人目の犠牲者が出てからの緊張感が半端ないです。ドキドキ感といってもいいかなぁ。
閉ざされた場所で時間の経過と共に殺人が行われていく恐怖と、犯人を突き止めようとする推理の展開は、臨場感があり、やめどころがわからないぐらいに一気読み確実です。
予言というキーワードで時間設定有りの中で男性二人女性二人の四人が犠牲になると最初から語られているので、今いる構成と残り時間のからみが素晴らしい。
何度か中断しながら読み進めたので、布団の中で今作の犯人を捜そうと色々考えたのですが、全然でした。かすりもしない。
次作についても、物語の最後に少し語られていましたね。
いよいよこの物語の中心にある団体の核心に触れそうな感じでした。
ここまで書いて思い直しました。この作品は、前作「屍人荘の殺人」から読んだほうが絶対に面白い。
次巻以降どこまで話が続くかわかりませんが、この一連の作品は「長編連作」だと思いますので。
それでは、ここからは触れていなかった「ネタバレ」を含みつつ、もう少し書いてみます。
ネタバレを読みたくない方は、ここで読むのをやめてください。
行数を10行くらい空けておきますね。
本当に読みますか?ネタバレありですよ?
では、書いていきます。
このコンビにまた会えた!
私は前作の屍人荘の殺人を読んではいるのですが、読み終えたのは読者による文学賞が始まる直前でしたので、魔眼の匣の殺人を担当できれば間を開けずに読むことができます。読者による文学賞は関係なく、この魔眼の匣の殺人は読もうと思っていたので、既に買って積んでありました。担当できるかどうかはわからなかったけどね。
まつさんの動画を見てくれた方は、二次選考を担当した方々がどのようにして自分が受け持つ作品を決めたのか理解してくれたと思います。(詳しくはまつさんの動画を見てね)
私の選択したタイトルは、結構他の方と重複してました。
この本が担当できてよかったー。
さて、今回もやっかいな事件に巻き込まれた葉村と剣崎。
前作では目に見える恐怖として、ゾンビが描かれ、そのゾンビが密室を形成する役目も兼ねていました。今作では、目に見える恐怖こそありませんが、それ以上にやっかいかもしれない、目に見えないが確実に感じる恐怖「予言」が描かれ、前作同様にこの恐怖の対象でもある予言が密室を軽視する役目を担います。
作者の今村さんの発想力を感じる部分ですね。前作ではゾンビという外的な力で密室が作られ、今作では予言という内的な力で密室が作られる。次作以降を心配するほどに、斬新なアイディアが書かれています。
私もそれなりにミステリー小説を読んできましたが、ほぼほぼ考えられるトリックや仕組みは出尽くしてきたと思っていました。ここにきて新しい考え方でストーリーを組み上げていけるのは、本当にセンスと才能のなせる業なのでしょう。本当にすごい。
今村さんのミステリーは、途中で犯人がわかりそうな気がするのに、そこに到達できないもどかしさが楽しいと思っています。今作でも、途中でうっすらと王子が怪しいと感じていた方はいると思います。私は全然気が付くことすらできなかったのですが、王子が殺戮に至った動機ですら気が付いた方もいるかもしれません。
予言で決められた48時間という設定の中で、男女が2人づつ、計4人が殺される。殺される順番、次のターゲット、設定人数。全ての数字が絡まりまくって、登場人物が疑心暗鬼に考えを巡らしていくのは、読んでいて緊張感が伝わってくる勢いです。
今村さんのミステリーは、細かいことが薄く、細く、重なり合って、極めて精緻なトリックを形作っています。だからこそ、私たちはこのシリーズ作人に引き込まれ、読みふけってしまうのでしょう。
それでもミサキについて気が付いた方はどれだけいたのか。ミサキの正体については、多くの方が気が付かないまま、ラストの終章に辿り着いたのではないでしょか。その正体は、物語に名前は何度も登場していますが、時間軸のずれもあり、多くの方はミサキの正体にはたどり着けないと思うのです。
いいのです、この「やられた!」感こそが、ミステリーの醍醐味なのですから。
多くのミステリー作品は、最後の見せ場で読者を欺き、読者が想定しない結末を見せてくれます。その鮮やかさに私たち読者は魅了され、さらなる作品へと手を伸ばすのです。
しかし、この魔眼の匣の殺人は、そのラストにおいても、さらに読者である私たちを置き去りにするような話をぶちこんできます。
比留子さんの葉村に対する考え、葉村の比留子さんに対する想い。根底ではお互いがお互いを認め、慈しむ存在にまで変化しているかもしれない。本人たちの気持ちはどうあれ。
その気持ちや想いを、比留子さんは遮断していることに葉村は気付く。
自分の助手になってほしいとお願いをしてきた名探偵は、大きな事件と少しばかりの時間を経て、ワトソンになろうと決意した男の気持ちには答えず、葉村のホームズにはなろうとしていない現実。
すげぇなぁ。。。
繊細過ぎるでしょ。
今村さんは、この2人とこのシリーズをとても大事に育てているようなきがしました。
そういや、サキミが住んでいる地域は「真雁」という田舎なので、その地名にちなんでサキミが住む家を「魔眼の匣」と呼んでいたと書かれていました。魔眼の代表的な力って「見えないものを見抜く力」だと思うんですよ。で、通常眼は2つあるわけなので、「魔眼」って「2つの予言」を暗示していたのかなぁ。
今回4冊目の本はこちらになります。
魔眼の匣の殺人
東京創元社 2019年2月22日 初版
今村 昌弘(いまむら まさひろ)
いやー、この作者はやっぱり凄かった。
前作である「屍人荘の殺人」は密室の作り方が想像もできないような方法だったけど、斬新すぎて受け入れていいかどうかすごく迷った記憶があります。今作でも、なかなかの密室でしたが、まだ前作よりは受け入れることはできたかな。
とはいえ、予言というキーワードを異なる方法で重ねて表現し、その予言があるからこそ成立するの密室。これは実際に読んで感じてほしい。このあたりのストーリーに組み方は素晴らしいと思います。
主人公は前作と同じで葉村譲と剣崎比留子のコンビ。
この二人以外は前作に出てきた方は今作中には出てきませんが、物語の中で前作の内容に触れることがそこそこあるので、やはり前作は読んでからのほうが楽しめると思います。
もちろん、前作を読まずに今作から読んだとしても楽しめるとは思いますが、前作を読んだほうが絶対に内容を深く理解できます。
ミステリーなので、詳細を語ってしまうと楽しさが半減してしまうのでふわっと語ってみますが、今回は一人目の犠牲者が出てからの緊張感が半端ないです。ドキドキ感といってもいいかなぁ。
閉ざされた場所で時間の経過と共に殺人が行われていく恐怖と、犯人を突き止めようとする推理の展開は、臨場感があり、やめどころがわからないぐらいに一気読み確実です。
予言というキーワードで時間設定有りの中で男性二人女性二人の四人が犠牲になると最初から語られているので、今いる構成と残り時間のからみが素晴らしい。
何度か中断しながら読み進めたので、布団の中で今作の犯人を捜そうと色々考えたのですが、全然でした。かすりもしない。
次作についても、物語の最後に少し語られていましたね。
いよいよこの物語の中心にある団体の核心に触れそうな感じでした。
ここまで書いて思い直しました。この作品は、前作「屍人荘の殺人」から読んだほうが絶対に面白い。
次巻以降どこまで話が続くかわかりませんが、この一連の作品は「長編連作」だと思いますので。
それでは、ここからは触れていなかった「ネタバレ」を含みつつ、もう少し書いてみます。
ネタバレを読みたくない方は、ここで読むのをやめてください。
行数を10行くらい空けておきますね。
本当に読みますか?ネタバレありですよ?
では、書いていきます。
このコンビにまた会えた!
私は前作の屍人荘の殺人を読んではいるのですが、読み終えたのは読者による文学賞が始まる直前でしたので、魔眼の匣の殺人を担当できれば間を開けずに読むことができます。読者による文学賞は関係なく、この魔眼の匣の殺人は読もうと思っていたので、既に買って積んでありました。担当できるかどうかはわからなかったけどね。
まつさんの動画を見てくれた方は、二次選考を担当した方々がどのようにして自分が受け持つ作品を決めたのか理解してくれたと思います。(詳しくはまつさんの動画を見てね)
私の選択したタイトルは、結構他の方と重複してました。
この本が担当できてよかったー。
さて、今回もやっかいな事件に巻き込まれた葉村と剣崎。
前作では目に見える恐怖として、ゾンビが描かれ、そのゾンビが密室を形成する役目も兼ねていました。今作では、目に見える恐怖こそありませんが、それ以上にやっかいかもしれない、目に見えないが確実に感じる恐怖「予言」が描かれ、前作同様にこの恐怖の対象でもある予言が密室を軽視する役目を担います。
作者の今村さんの発想力を感じる部分ですね。前作ではゾンビという外的な力で密室が作られ、今作では予言という内的な力で密室が作られる。次作以降を心配するほどに、斬新なアイディアが書かれています。
私もそれなりにミステリー小説を読んできましたが、ほぼほぼ考えられるトリックや仕組みは出尽くしてきたと思っていました。ここにきて新しい考え方でストーリーを組み上げていけるのは、本当にセンスと才能のなせる業なのでしょう。本当にすごい。
今村さんのミステリーは、途中で犯人がわかりそうな気がするのに、そこに到達できないもどかしさが楽しいと思っています。今作でも、途中でうっすらと王子が怪しいと感じていた方はいると思います。私は全然気が付くことすらできなかったのですが、王子が殺戮に至った動機ですら気が付いた方もいるかもしれません。
予言で決められた48時間という設定の中で、男女が2人づつ、計4人が殺される。殺される順番、次のターゲット、設定人数。全ての数字が絡まりまくって、登場人物が疑心暗鬼に考えを巡らしていくのは、読んでいて緊張感が伝わってくる勢いです。
今村さんのミステリーは、細かいことが薄く、細く、重なり合って、極めて精緻なトリックを形作っています。だからこそ、私たちはこのシリーズ作人に引き込まれ、読みふけってしまうのでしょう。
それでもミサキについて気が付いた方はどれだけいたのか。ミサキの正体については、多くの方が気が付かないまま、ラストの終章に辿り着いたのではないでしょか。その正体は、物語に名前は何度も登場していますが、時間軸のずれもあり、多くの方はミサキの正体にはたどり着けないと思うのです。
いいのです、この「やられた!」感こそが、ミステリーの醍醐味なのですから。
多くのミステリー作品は、最後の見せ場で読者を欺き、読者が想定しない結末を見せてくれます。その鮮やかさに私たち読者は魅了され、さらなる作品へと手を伸ばすのです。
しかし、この魔眼の匣の殺人は、そのラストにおいても、さらに読者である私たちを置き去りにするような話をぶちこんできます。
比留子さんの葉村に対する考え、葉村の比留子さんに対する想い。根底ではお互いがお互いを認め、慈しむ存在にまで変化しているかもしれない。本人たちの気持ちはどうあれ。
その気持ちや想いを、比留子さんは遮断していることに葉村は気付く。
自分の助手になってほしいとお願いをしてきた名探偵は、大きな事件と少しばかりの時間を経て、ワトソンになろうと決意した男の気持ちには答えず、葉村のホームズにはなろうとしていない現実。
すげぇなぁ。。。
繊細過ぎるでしょ。
今村さんは、この2人とこのシリーズをとても大事に育てているようなきがしました。
そういや、サキミが住んでいる地域は「真雁」という田舎なので、その地名にちなんでサキミが住む家を「魔眼の匣」と呼んでいたと書かれていました。魔眼の代表的な力って「見えないものを見抜く力」だと思うんですよ。で、通常眼は2つあるわけなので、「魔眼」って「2つの予言」を暗示していたのかなぁ。
読者による文学賞の二次選考 レビュー3冊目です
2020年2月4日 読書それでは、読者による文学賞の二次選考レビューです。
今回3冊目の本はこちらになります。
三体
早川書房 2019年7月15日 初版発行 2019年7月20日 6版発行
劉 慈欣(リウ・ツーシン/りゅう じきん)
既にSF界では続編を待たれている、三部作の第一作目ですね。
すごく偏見だということは理解しているけど、SFってなんとなく欧米が主流で、アジアから世界に通用するような作品って出てこないと思っていました。
ですので、この作品を読んで驚愕です。間違いなく、本格SFです。
ちょっと軽い気持ちで「少し時間あるし、ちょっと読むかー」なんて感じだと序盤から頭を殴られるようなシーンで話が始まったりします。
何も考えずに読んだとしても楽しめるとは思いますが、色々知識を得てから読んだほうが楽しめるとは思うので、再読はおすすめですし、途中で知識をつけるために他の本を読んで勉強するのもいいかもしれない。
じゃぁ何を勉強すればいいのか?これは是非読んで確かめてほしいけど、物理(天体力学)と中国史、とだけは伝えておきます。苦手な人でも、さわりだけでもいいので知識として持っていればさらに楽しめると思いますので、是非。
本作は三部作の第一作目ということで、作品の導入部分である様々な紹介や説明が多く書かれています。登場人物であるとか、世界観であるとか、作品の世界に起きる事件であるとか、そのようなことを紹介することをメインとした内容となっています。
三部作に分かれるとはいえ、紹介や説明が多いと読みやすそうな雰囲気がありますよね?
ある意味、この考えは裏切られます。文章が難解であるとか、表現がわかりにくいとか、そのようなことではなく、話の展開がよくある小説の流れじゃなかった。全然想像もできないような展開で、頭の中が混乱しながら読んでは戻り、読んでは戻り。
これで三部作の一作目か。相当気を入れて読んでいかないと、ついていくのも大変な気がします。とはいえ、面白いのは間違いありません。
物語って起承転結で構成されるような話を聞いたりすることがあったけど、この三体に関しては「起」ですね。作中に盛り上がるような、読者を驚かせるような場面は登場しますが、読み終えた感想は「おもしろかった!」よりも「続きが読みたい!」が強かったように感じます。
それ故に、本作は三部作の「起」と感じるのではないでしょうか。作中に、どうしてもわからない話や謎のような部分が多すぎて、導入部分なんだなぁという印象が強くなってしまいました。
この辺りは、ミステリーと同じようにSFも踏み込んで書いてしまうとつまらないと思いますので、割愛します。読んでいない方の楽しみを奪うことになってしまうので。
書評って難しい。
私のこの文章で、どれだけの方に面白さを伝えることはできているのか。
この作品は、SFが好きな方はもちろん知っているでしょうし、書店でも大きく取り扱っていることが多いように感じますので、今回の文学賞の「発掘」というキーワードにはあまり合わないかもしれませんが、読み応えもあり、オールタイムのSF代表作の一つになりえるような作品です。
少しでも興味を持たれたら、読んでみることをお勧めします。
それでは、ここからは触れていなかった「ネタバレ」を含みつつ、もう少し書いてみます。
ネタバレを読みたくない方は、ここで読むのをやめてください。
行数を10行くらい空けておきますね。
本当に読みますか?ネタバレありですよ?
では、書いていきます。
表紙を見てワクワクして、おいおいこれは近未来が舞台のSFかい?なんて考えながら表紙をめくり、第一部を読む。ん?1967年?文化大革命?はい、パニックです。
最初から期待を裏切られましたね、予期せぬ方向で。これはSFやミステリーを読むにあたって、間違いなく面白くなる裏切り。期待は高まったまま、読み進めました。
本書は三部構成となっています。
第一部は三体という物語の、本当に根本となる出来事を淡々と書いています。文章に感情の起伏が感じられない分、起きた出来事の大きさや影響が力強く書かれていく。
この第一部は、短い話の中で葉文潔が絶望に至る流れとなっていますが、絶望感を感じさせず、それを読者に思わせてしまう。このあたりは、翻訳者の方々は、本当に苦労したのではないかと思います。本来の言語で書かれた文章を、言葉の表向きの意味だけではなく、言葉い込められたもう一つの裏の意味まで読み解かないと、そう感じることはないでしょうから。
翻訳のわりに、読みやすいと感じたのも、そのような苦労があったのでしょう。
第二部は現実の出来事とVRの世界で繰り広げられる出来事の交互に書かれています。この切り替わりがまた秀逸です。
ここでの主人公は、葉文潔から王淼に変わってます。ここから魅力的な人物が次々と物語を進め始めます。
現実世界のパートは物語が加速するように、ぐんぐん面白さを増していきます。その現実世界パートに差し込まれるように書かれるVRパート。物語中では「三体というVRゲーム」とされていますが、このVR世界で書かれる内容が不思議な世界で、現実パートから頭を切り替えて読まないと、理解すら追いつきません。
すごい。本当にすごい。
個人的にはこの第二部が好きです。三体というVR空間に出てくる歴史の偉人達との会話はなかなか読ませます。周の文王が出てきたり、墨子が出てきたり、ニュートンやアインシュタインまで。
この第二部は、もう一度じっくり読み返してみたいです。
今の感想と、再読したときでは、おそらく大きく異なる感想が得られると思うのです。時間を作って、時間がでるまでには、もう一度再読しておきたいと考えています。
そして、第三部。まさかの未知との遭遇でした。
VRゲームである三体、その優秀なプレイヤーを集めてのオフ会で宣言される、実際に存在する三体世界(三太陽世界)。この辺りで私は物語に飲み込まれています。話についていけない、と表現しても同じかもしれない。
文化大革命でスタートする物語の着地点が、VR世界のゲームを経て、VR世界で表現されていた世界は、現実に存在する三太陽世界を表現していると語られ、その世界に住む三体人が地球に文明があることを知る。これは読者には想像もできない展開だと思うのです。
次巻以降は、地球と三体世界の関りが書かれることになるのでしょうか。
本書は葉文潔という人間の物語でした。最初から最後まで。
葉が出てこないパートであっても、葉にかかわる方や考え方等、葉の影響が散りばめられており、第三部のラストではそんな葉の全ての出発点である紅岸基地跡地で物語を終えます。
葉に残された生命の残り火は使い果たすように基地跡地まで登り、最後にもう一度だけ見たいと願っていた日の入りを見る。
このときの胸中は物語の中で語られていませんが、どのような感情が訪れていたのか。
SFというと、どうしても近未来だったり、現在を遥かに超越する技術だったりを想像してしまいます。そういった意味では三体はSFというジャンルなのでしょうが、読み終えて感じたことは「葉文潔」という人間の、壮絶な生き様を描いた小説なのかな、ということでした。
存在感のある人間が主軸となる小説は、本当に印象が強くなる気がします。
本書は、そう感じたうちの一冊となりました。
今回3冊目の本はこちらになります。
三体
早川書房 2019年7月15日 初版発行 2019年7月20日 6版発行
劉 慈欣(リウ・ツーシン/りゅう じきん)
既にSF界では続編を待たれている、三部作の第一作目ですね。
すごく偏見だということは理解しているけど、SFってなんとなく欧米が主流で、アジアから世界に通用するような作品って出てこないと思っていました。
ですので、この作品を読んで驚愕です。間違いなく、本格SFです。
ちょっと軽い気持ちで「少し時間あるし、ちょっと読むかー」なんて感じだと序盤から頭を殴られるようなシーンで話が始まったりします。
何も考えずに読んだとしても楽しめるとは思いますが、色々知識を得てから読んだほうが楽しめるとは思うので、再読はおすすめですし、途中で知識をつけるために他の本を読んで勉強するのもいいかもしれない。
じゃぁ何を勉強すればいいのか?これは是非読んで確かめてほしいけど、物理(天体力学)と中国史、とだけは伝えておきます。苦手な人でも、さわりだけでもいいので知識として持っていればさらに楽しめると思いますので、是非。
本作は三部作の第一作目ということで、作品の導入部分である様々な紹介や説明が多く書かれています。登場人物であるとか、世界観であるとか、作品の世界に起きる事件であるとか、そのようなことを紹介することをメインとした内容となっています。
三部作に分かれるとはいえ、紹介や説明が多いと読みやすそうな雰囲気がありますよね?
ある意味、この考えは裏切られます。文章が難解であるとか、表現がわかりにくいとか、そのようなことではなく、話の展開がよくある小説の流れじゃなかった。全然想像もできないような展開で、頭の中が混乱しながら読んでは戻り、読んでは戻り。
これで三部作の一作目か。相当気を入れて読んでいかないと、ついていくのも大変な気がします。とはいえ、面白いのは間違いありません。
物語って起承転結で構成されるような話を聞いたりすることがあったけど、この三体に関しては「起」ですね。作中に盛り上がるような、読者を驚かせるような場面は登場しますが、読み終えた感想は「おもしろかった!」よりも「続きが読みたい!」が強かったように感じます。
それ故に、本作は三部作の「起」と感じるのではないでしょうか。作中に、どうしてもわからない話や謎のような部分が多すぎて、導入部分なんだなぁという印象が強くなってしまいました。
この辺りは、ミステリーと同じようにSFも踏み込んで書いてしまうとつまらないと思いますので、割愛します。読んでいない方の楽しみを奪うことになってしまうので。
書評って難しい。
私のこの文章で、どれだけの方に面白さを伝えることはできているのか。
この作品は、SFが好きな方はもちろん知っているでしょうし、書店でも大きく取り扱っていることが多いように感じますので、今回の文学賞の「発掘」というキーワードにはあまり合わないかもしれませんが、読み応えもあり、オールタイムのSF代表作の一つになりえるような作品です。
少しでも興味を持たれたら、読んでみることをお勧めします。
それでは、ここからは触れていなかった「ネタバレ」を含みつつ、もう少し書いてみます。
ネタバレを読みたくない方は、ここで読むのをやめてください。
行数を10行くらい空けておきますね。
本当に読みますか?ネタバレありですよ?
では、書いていきます。
表紙を見てワクワクして、おいおいこれは近未来が舞台のSFかい?なんて考えながら表紙をめくり、第一部を読む。ん?1967年?文化大革命?はい、パニックです。
最初から期待を裏切られましたね、予期せぬ方向で。これはSFやミステリーを読むにあたって、間違いなく面白くなる裏切り。期待は高まったまま、読み進めました。
本書は三部構成となっています。
第一部は三体という物語の、本当に根本となる出来事を淡々と書いています。文章に感情の起伏が感じられない分、起きた出来事の大きさや影響が力強く書かれていく。
この第一部は、短い話の中で葉文潔が絶望に至る流れとなっていますが、絶望感を感じさせず、それを読者に思わせてしまう。このあたりは、翻訳者の方々は、本当に苦労したのではないかと思います。本来の言語で書かれた文章を、言葉の表向きの意味だけではなく、言葉い込められたもう一つの裏の意味まで読み解かないと、そう感じることはないでしょうから。
翻訳のわりに、読みやすいと感じたのも、そのような苦労があったのでしょう。
第二部は現実の出来事とVRの世界で繰り広げられる出来事の交互に書かれています。この切り替わりがまた秀逸です。
ここでの主人公は、葉文潔から王淼に変わってます。ここから魅力的な人物が次々と物語を進め始めます。
現実世界のパートは物語が加速するように、ぐんぐん面白さを増していきます。その現実世界パートに差し込まれるように書かれるVRパート。物語中では「三体というVRゲーム」とされていますが、このVR世界で書かれる内容が不思議な世界で、現実パートから頭を切り替えて読まないと、理解すら追いつきません。
すごい。本当にすごい。
個人的にはこの第二部が好きです。三体というVR空間に出てくる歴史の偉人達との会話はなかなか読ませます。周の文王が出てきたり、墨子が出てきたり、ニュートンやアインシュタインまで。
この第二部は、もう一度じっくり読み返してみたいです。
今の感想と、再読したときでは、おそらく大きく異なる感想が得られると思うのです。時間を作って、時間がでるまでには、もう一度再読しておきたいと考えています。
そして、第三部。まさかの未知との遭遇でした。
VRゲームである三体、その優秀なプレイヤーを集めてのオフ会で宣言される、実際に存在する三体世界(三太陽世界)。この辺りで私は物語に飲み込まれています。話についていけない、と表現しても同じかもしれない。
文化大革命でスタートする物語の着地点が、VR世界のゲームを経て、VR世界で表現されていた世界は、現実に存在する三太陽世界を表現していると語られ、その世界に住む三体人が地球に文明があることを知る。これは読者には想像もできない展開だと思うのです。
次巻以降は、地球と三体世界の関りが書かれることになるのでしょうか。
本書は葉文潔という人間の物語でした。最初から最後まで。
葉が出てこないパートであっても、葉にかかわる方や考え方等、葉の影響が散りばめられており、第三部のラストではそんな葉の全ての出発点である紅岸基地跡地で物語を終えます。
葉に残された生命の残り火は使い果たすように基地跡地まで登り、最後にもう一度だけ見たいと願っていた日の入りを見る。
このときの胸中は物語の中で語られていませんが、どのような感情が訪れていたのか。
SFというと、どうしても近未来だったり、現在を遥かに超越する技術だったりを想像してしまいます。そういった意味では三体はSFというジャンルなのでしょうが、読み終えて感じたことは「葉文潔」という人間の、壮絶な生き様を描いた小説なのかな、ということでした。
存在感のある人間が主軸となる小説は、本当に印象が強くなる気がします。
本書は、そう感じたうちの一冊となりました。
読者による文学賞の二次選考 レビュー2冊目です
2020年1月29日 読書 コメント (4)それでは、読者による文学賞の二次選考レビューです。
今回2冊目の本はこちらになります。
Unnamed Memory 1 青き月の魔女と呪われし王
KADOKAWA 2019年1月17日 初版発行 2019年11月25日 再版発行
古宮九時(ふるみや くじ)
「読者による文学賞」に二次選考者として参加していなければ、絶対に読んでいなかった本だと思います。
内容が古き良き「剣と魔法の世界」を舞台にしているために、「ライトノベル」とか「ファンタジー」というようなジャンルに分けられていることが多いかもしれません。実際に私が購入した書店ではライトノベルの棚にありました。それでも私は、この物語は「不器用な男女が紡ぐ骨太の恋愛小説」と表現したいです。
web小説がベースとなっているようで、私が読んだときには、続巻の情報が帯に書かれていました。かなり人気もあり、「このライトノベルがすごい2020」で1位をとっているくらいなので、すでに世間に認知されている小説だと思いますが、それでもこう考えてしまうのです。
「狭いジャンルに埋もれていい物語ではない」と。
いや、私が知らないだけで世間に広く浸透し、知られているかもしれないが、もっともっと読まれるポテンシャルを秘めていると私は考えています。
ライトノベルという枠にはめてしまうと、多くの書店では文芸書とは違う棚に置かれてしまうことが多いのではないでしょうか。この本は表紙に素敵なイラストが使われていますが、それだって知らない人が見れば「アニメ」や「マンガ」と同列視されることも多いかもしれません。別にライトノベルや、アニメ、マンガを下に見ているわけではありませんよ。この本はもっともっと多くの読者を獲得できる面白さがあるだけに、ライトノベルという枠にはめられてしまうことがもったいないと感じてしまうのです。
私がまだ学生だった頃、現在のようにファンタジー小説というものが一般的ではなかった頃に、ロードス島戦記という小説がありました。最近、久々の新刊が出るほどに人気がある小説です。
Unnamed Memoryを読み終えたときに湧き出た感情は、ロードス島戦記を読み終えた時と似ていました。非情に高い満足感、次につながる期待感、魅力的な登場人物、そしてかなり純粋な恋愛小説の側面。
読み終えた後に、すぐ次巻がほしくなる物語は久しぶりでした。
内容は副題に書いてあるとおり魔女と王を主軸に展開されていきます。剣と魔法の世界を舞台にした物語というのは、今でこそ当たり前のように使われていますが、一昔前ではなかなか受け入れられない世界観だったことを考えれば、ほんといい時代になったものです。
剣での戦いや魔法詠唱等、曖昧な表現だったり、思い付きで描かれた世界観では雰囲気壊してしまう恐れもありますが、この本ではそういった要素は非常に丁寧に描かれています。文章を読んでいるだけで脳内で映像が再生されてしまいそうな気さえします。これは読んでいる最中にずっと感じていました。
主人公であるオスカーと魔女であるティナーシャの二人を中心に物語は進みますが、剣と魔法の世界だからといって戦う場面がメインというわけではありません。もちろん、そういった場面は何度も出てきますが、あくまでも物語の中心は二人の関係です。
この二人のやり取りが、読んでてにやけてきちゃうくらいに楽しい。なんだろうな、読んでて気持ちの行き先にハラハラしたりドキドキすることがない代わりに、まるで保護者のように優しい笑顔で見守れるような。そんな感じになっちゃいます。
恋愛小説というものはあまり積極的に読むわけではありませんが、この物語は恋愛小説としても非常に高いレベルで構成されているような感じを受けました。私が恋愛小説を読み慣れてないからそう思うだけかもしれませんが、会話のやり取り、微妙な仕草等からそう感じてしまうのです。
今回は1巻ということもあり、登城人物の顔見せや主人公を取り巻く情勢、協力してくれる仲間や敵対する存在までを紹介するような内容ですが、それでもストーリーを破綻させずに起承転結がきれいに描かれているのは、読んでいて気持ちがよかったです。
ライトノベルとかファンタジーとジャンルに分類される物語を避けている方に是非読んでほしい。読んだ人を夢中にさせてくれる、そんな物語はなかなか出会えませんから。
それでは、ここからは触れていなかった「ネタバレ」を含みつつ、もう少し書いてみます。
ネタバレを読みたくない方は、ここで読むのをやめてください。
行数を10行くらい空けておきますね。
本当に読みますか?ネタバレありですよ?
では、書いていきます。
Unnamed Memoryってことは、直訳で「名前のない記憶」とか「名前のない思い出」とか、そんな感じの訳が頭に浮かんだけど、読み終わって改めて浮かんだ訳は「歴史に埋もれた記録」って感じでした。
そんな記録の中心にいる、オスカーとティナーシャについて。
副題に「呪われし王」と書いてありますが、この呪いの解釈を「実は呪いじゃなくて祝福」と作中でティナーシャに明かされる場面があります。呪いって、いかにも魔女が使いそうな悪しきチカラの代表格に聞こえますが、そこは悪しきチカラなのでなんとかすれば解呪できそうな気がしますよね?そこで、負のチカラである呪いではなく、聖なるチカラである祝福によって縛りをかけるという、これまで聞いたこともないような考え方にまずやられました。
オスカーにかけられていた呪いとは子供が作ることができない、と思われていたところに、呪いを解くために訪れた魔女(=ティナーシャ)の助言で呪いではなく「生まれてくる胎児に非常に強い守りのチカラがかけられているため、母体が耐えられなくなり」子供が作れないことが判明する。うーん、これよく考えたなぁ。たしかに祝福でもって縛られればそう簡単には解けないような気がしてくるから不思議。
それでここからが大事。胎児に非常に強いチカラがかけられているだけなのだから、非常に強いチカラに耐えられれば子供は生まれてくるってこと。ティナーシャも自分が狙われるとは思わなかっただろうなぁ。魔女なのだから、非常に強いチカラを持っているの理解されてしまったのが運の尽きでしたね。。。
ここから、呪われた王と非情に強いチカラをもつ魔女の旅路が始まるのですね。
二人の生活は、読んでいて羨ましいほど仲睦まじいというか、何かあればオスカーがティナーシャをからかうような掛け合いが書かれています。
ティナーシャがオスカーの傍にいるのは一年間と決めたのに、全く持って緊張感もなく、日常を楽しむように過ごす二人には、この関係がちょうどいいのでしょうか。
物語の合間に書かれる事件やオスカー達に敵対するような勢力の出現、過去に猛威を振るった魔獣の復活、そういった出来事も書かれ、剣と魔法の世界であることを、さらにはオスカーが最強の剣士であり、ティナーシャは世界に5人しかいない強大な力を持つ魔女である証を示してくれたり。
主人公の強さを感じさせながらも、ある程度力を抑え込んだ状態でピンチにも陥る場面を書ききるのは、読者を飽きさせない工夫であると感じました。戦闘シーンにも一切手抜き無し。ほんと、素晴らしい。
それでも、ですよ。もちろんそういった場面を読むのは楽しいのですが、私はこの二人がなんだかんだとお互い気にしながら、信頼や見え隠れする愛情?まではいかない好意的な想いを込めて言葉をかけあってる場面が大好きです。
基本的にハッピーエンドの物語が好きなのです。
それだけに、物語の最後に紡がれた言葉。
「だからいつの日かー全てを終わらせた時には、彼が自分を殺してくれるだろう」
このティナーシャの想い。
さらに続けて書かれる、
「これは、魔女の時代が終わるまでの一年間のお話」
何が起きるんだろう。。。
そりゃ物語なので、ただただ平和な時間をかいたところで物語としては成り立たないのは理解できるとしても、二人の関係を少しでも見てしまったのだから、悲しい結末だけは見たくないなぁ。
物語の途中で、ティナーシャは時々使い魔から何かの目的に沿った報告を受けている場面が出てきます。その目的のためなら手段を択ばないであろうことも予想できます。
その目的が達成されれば、この世界には執着していなさそうな気もします。それは、喜びや悲しみ、そういった感情も含まれるし、究極的には自分の「命」でさえ執着していないように感じます。
ティナーシャと同じ「閉ざされた森の魔女」であるルクレツィアは、ティナーシャが魔女に「なった」頃から知っていると語っています。この言葉は、目的があって人間から魔女になったことを示唆していると思われます。キーワードっぽい言葉は、ちょこちょこと書かれていましたが、さてどうなるのでしょうか。
今は読者による文学賞の第二次選考の真っ最中なので、選考対象の本を読むので精一杯なのですが、ひと段落したら、Unnamed Memoryの次巻以降も読み進めたいと考えてます。この作品を推薦してくれた方、本当にありがとうございます。
良き作品に出会えたことに感謝。。。
今回2冊目の本はこちらになります。
Unnamed Memory 1 青き月の魔女と呪われし王
KADOKAWA 2019年1月17日 初版発行 2019年11月25日 再版発行
古宮九時(ふるみや くじ)
「読者による文学賞」に二次選考者として参加していなければ、絶対に読んでいなかった本だと思います。
内容が古き良き「剣と魔法の世界」を舞台にしているために、「ライトノベル」とか「ファンタジー」というようなジャンルに分けられていることが多いかもしれません。実際に私が購入した書店ではライトノベルの棚にありました。それでも私は、この物語は「不器用な男女が紡ぐ骨太の恋愛小説」と表現したいです。
web小説がベースとなっているようで、私が読んだときには、続巻の情報が帯に書かれていました。かなり人気もあり、「このライトノベルがすごい2020」で1位をとっているくらいなので、すでに世間に認知されている小説だと思いますが、それでもこう考えてしまうのです。
「狭いジャンルに埋もれていい物語ではない」と。
いや、私が知らないだけで世間に広く浸透し、知られているかもしれないが、もっともっと読まれるポテンシャルを秘めていると私は考えています。
ライトノベルという枠にはめてしまうと、多くの書店では文芸書とは違う棚に置かれてしまうことが多いのではないでしょうか。この本は表紙に素敵なイラストが使われていますが、それだって知らない人が見れば「アニメ」や「マンガ」と同列視されることも多いかもしれません。別にライトノベルや、アニメ、マンガを下に見ているわけではありませんよ。この本はもっともっと多くの読者を獲得できる面白さがあるだけに、ライトノベルという枠にはめられてしまうことがもったいないと感じてしまうのです。
私がまだ学生だった頃、現在のようにファンタジー小説というものが一般的ではなかった頃に、ロードス島戦記という小説がありました。最近、久々の新刊が出るほどに人気がある小説です。
Unnamed Memoryを読み終えたときに湧き出た感情は、ロードス島戦記を読み終えた時と似ていました。非情に高い満足感、次につながる期待感、魅力的な登場人物、そしてかなり純粋な恋愛小説の側面。
読み終えた後に、すぐ次巻がほしくなる物語は久しぶりでした。
内容は副題に書いてあるとおり魔女と王を主軸に展開されていきます。剣と魔法の世界を舞台にした物語というのは、今でこそ当たり前のように使われていますが、一昔前ではなかなか受け入れられない世界観だったことを考えれば、ほんといい時代になったものです。
剣での戦いや魔法詠唱等、曖昧な表現だったり、思い付きで描かれた世界観では雰囲気壊してしまう恐れもありますが、この本ではそういった要素は非常に丁寧に描かれています。文章を読んでいるだけで脳内で映像が再生されてしまいそうな気さえします。これは読んでいる最中にずっと感じていました。
主人公であるオスカーと魔女であるティナーシャの二人を中心に物語は進みますが、剣と魔法の世界だからといって戦う場面がメインというわけではありません。もちろん、そういった場面は何度も出てきますが、あくまでも物語の中心は二人の関係です。
この二人のやり取りが、読んでてにやけてきちゃうくらいに楽しい。なんだろうな、読んでて気持ちの行き先にハラハラしたりドキドキすることがない代わりに、まるで保護者のように優しい笑顔で見守れるような。そんな感じになっちゃいます。
恋愛小説というものはあまり積極的に読むわけではありませんが、この物語は恋愛小説としても非常に高いレベルで構成されているような感じを受けました。私が恋愛小説を読み慣れてないからそう思うだけかもしれませんが、会話のやり取り、微妙な仕草等からそう感じてしまうのです。
今回は1巻ということもあり、登城人物の顔見せや主人公を取り巻く情勢、協力してくれる仲間や敵対する存在までを紹介するような内容ですが、それでもストーリーを破綻させずに起承転結がきれいに描かれているのは、読んでいて気持ちがよかったです。
ライトノベルとかファンタジーとジャンルに分類される物語を避けている方に是非読んでほしい。読んだ人を夢中にさせてくれる、そんな物語はなかなか出会えませんから。
それでは、ここからは触れていなかった「ネタバレ」を含みつつ、もう少し書いてみます。
ネタバレを読みたくない方は、ここで読むのをやめてください。
行数を10行くらい空けておきますね。
本当に読みますか?ネタバレありですよ?
では、書いていきます。
Unnamed Memoryってことは、直訳で「名前のない記憶」とか「名前のない思い出」とか、そんな感じの訳が頭に浮かんだけど、読み終わって改めて浮かんだ訳は「歴史に埋もれた記録」って感じでした。
そんな記録の中心にいる、オスカーとティナーシャについて。
副題に「呪われし王」と書いてありますが、この呪いの解釈を「実は呪いじゃなくて祝福」と作中でティナーシャに明かされる場面があります。呪いって、いかにも魔女が使いそうな悪しきチカラの代表格に聞こえますが、そこは悪しきチカラなのでなんとかすれば解呪できそうな気がしますよね?そこで、負のチカラである呪いではなく、聖なるチカラである祝福によって縛りをかけるという、これまで聞いたこともないような考え方にまずやられました。
オスカーにかけられていた呪いとは子供が作ることができない、と思われていたところに、呪いを解くために訪れた魔女(=ティナーシャ)の助言で呪いではなく「生まれてくる胎児に非常に強い守りのチカラがかけられているため、母体が耐えられなくなり」子供が作れないことが判明する。うーん、これよく考えたなぁ。たしかに祝福でもって縛られればそう簡単には解けないような気がしてくるから不思議。
それでここからが大事。胎児に非常に強いチカラがかけられているだけなのだから、非常に強いチカラに耐えられれば子供は生まれてくるってこと。ティナーシャも自分が狙われるとは思わなかっただろうなぁ。魔女なのだから、非常に強いチカラを持っているの理解されてしまったのが運の尽きでしたね。。。
ここから、呪われた王と非情に強いチカラをもつ魔女の旅路が始まるのですね。
二人の生活は、読んでいて羨ましいほど仲睦まじいというか、何かあればオスカーがティナーシャをからかうような掛け合いが書かれています。
ティナーシャがオスカーの傍にいるのは一年間と決めたのに、全く持って緊張感もなく、日常を楽しむように過ごす二人には、この関係がちょうどいいのでしょうか。
物語の合間に書かれる事件やオスカー達に敵対するような勢力の出現、過去に猛威を振るった魔獣の復活、そういった出来事も書かれ、剣と魔法の世界であることを、さらにはオスカーが最強の剣士であり、ティナーシャは世界に5人しかいない強大な力を持つ魔女である証を示してくれたり。
主人公の強さを感じさせながらも、ある程度力を抑え込んだ状態でピンチにも陥る場面を書ききるのは、読者を飽きさせない工夫であると感じました。戦闘シーンにも一切手抜き無し。ほんと、素晴らしい。
それでも、ですよ。もちろんそういった場面を読むのは楽しいのですが、私はこの二人がなんだかんだとお互い気にしながら、信頼や見え隠れする愛情?まではいかない好意的な想いを込めて言葉をかけあってる場面が大好きです。
基本的にハッピーエンドの物語が好きなのです。
それだけに、物語の最後に紡がれた言葉。
「だからいつの日かー全てを終わらせた時には、彼が自分を殺してくれるだろう」
このティナーシャの想い。
さらに続けて書かれる、
「これは、魔女の時代が終わるまでの一年間のお話」
何が起きるんだろう。。。
そりゃ物語なので、ただただ平和な時間をかいたところで物語としては成り立たないのは理解できるとしても、二人の関係を少しでも見てしまったのだから、悲しい結末だけは見たくないなぁ。
物語の途中で、ティナーシャは時々使い魔から何かの目的に沿った報告を受けている場面が出てきます。その目的のためなら手段を択ばないであろうことも予想できます。
その目的が達成されれば、この世界には執着していなさそうな気もします。それは、喜びや悲しみ、そういった感情も含まれるし、究極的には自分の「命」でさえ執着していないように感じます。
ティナーシャと同じ「閉ざされた森の魔女」であるルクレツィアは、ティナーシャが魔女に「なった」頃から知っていると語っています。この言葉は、目的があって人間から魔女になったことを示唆していると思われます。キーワードっぽい言葉は、ちょこちょこと書かれていましたが、さてどうなるのでしょうか。
今は読者による文学賞の第二次選考の真っ最中なので、選考対象の本を読むので精一杯なのですが、ひと段落したら、Unnamed Memoryの次巻以降も読み進めたいと考えてます。この作品を推薦してくれた方、本当にありがとうございます。
良き作品に出会えたことに感謝。。。
読者による文学賞の二次選考 レビュー1冊目です
2020年1月26日 読書読者による文学賞の二次選考を担当させていただき、少しづつ読み終わった本のレビューを書いていこうと思います。
それでは、まずは本の情報から。
滴水古書堂の名状しがたき事件簿 1
講談社 2019年8月5日 第1刷発行
黒崎江治(くろさき こうじ)
それでは、レビューです。
タイトルに「ほにゃららの事件簿」って書いてあれば、多くの方はミステリー小説だと判断するのではないでしょうか?
私はそう判断してしまいます。そのため、この本を手に取った時の感想としては、「古書堂かぁ。前にすげーヒットした古書店の小説があったなぁ」って感じでした。私を高揚させたのは、帯の推薦文を京極夏彦さんが書いていたこと。大好きなミステリー作家。姑獲鳥の夏の衝撃は未だに忘れられない。
この帯があったもんで、この本のハードルがぐぐいっっと上がってしまったのは、しょうがないことでしょう、きっと。だってこの帯の文章がまたいいんだもん。古書店を舞台にどんなストーーリーが繰り広げられるんだろう?古書店のマスターはどんな人間なのだろう?
そりゃ期待は膨らみまくりますって。
はい、読み終わりました。
うーん。
うーんうーん。。。
ミステリー・・・かなぁ?
ファンタジー・・・?でもないよなぁ。
もったいない、ってのが第一印象でした。素材はいいんですよ。ただ調理の仕方がちょっと雑じゃないのかなぁ、という感じなのです。
おもしろいか、おもしろくないか、と聞かれれば、おもしろいですよ。おもしろいだけに、もったいないんです。
ネタばれにならない程度に内容を書きます。
タイトルにもある「滴水古書堂」の店主でもある古戸時久(ふるど ときひさ)と、ちょっとした事件で知り合った楠田由宇子(くすだ ゆうこ)が古戸の誘いを受けて滴水古書堂のバイトとなるプロローグから話は始まります。ストーリーはエピソード1から5に分かれており、短編連作とという形で構成されています。各エピソードに関連性はないのですが、プロローグからエピソード5まで時間軸の流れに沿って物語は書かれています。
さて、やはりどこまでもタイトルに引っ張られてしまうのですが、事件はおきます。各エピソードに異なる事件が書かれています。その事件が、普通ではないのです。前述のように私はこの小説のジャンルについて断言できていません。それは事件の内容に問題があるからです。
全てのエピソードの事件が超常の現象なのです。
もっと簡単に書けば「オカルト」っぽいのです。
主人公である古戸さんは、エピソード1でオカルトじゃないよ、って言ってる場面がありますが、読んでるこちらとしては、いやいやオカルトでしょ?って突っ込みたくなってしまう。
さらに言えば、おさまりの悪い話が多いのです。
オカルトを否定するわけじゃありません。むしろは私はオカルトや超常現象、UMAといった話は大好物です。ですので、オカルトを用いてもいいから「なるほど」とか「あー、そうきたかぁ」とか、読者を唸らせてほしいのです。名探偵が知恵をしぼり、事実を積み上げ、犯人を特定していくように、事件を解決するには説得力が必要だと思うのです。
超常のチカラというのは、理由もなく、そういうものである、ということは理解できますが、それを事件性のある話の中に組み込んでしまうと、現実という世界からは外れてしまい、非日常の出来事、つまり読者には伝わりにくい話になってしまいます。
言い方は悪いかもしれませんが、何でもありの世界には共感しにくいと私は考えています。
この本はタイトルに1巻と明記されているので、2巻は必ず発行されるのでしょう。もしかしたら、2巻以降で少しづつ詳細が語られていくのかもしれません。そうであったとしても、まず全員がこの第1巻を手に取ります。私のように、何も事前情報無しに読み進めれば、1巻の内容で次巻以降を購入するかどうか考える人もいるでしょう。
現状、2巻を読みたいか?と聞かれれば、申し訳ないですが返答はNOです。
消化不良すぎるのです。全てが唐突で、書かれないことが多い。もちろん、書かないことで読者の想像に任せて楽しんでもらう手法もあるかもしれませんが、この本に関してそれはありません。
想像ができないんです。
「え?なに?今のは何?」
そんな気持ちになることが多く、すっきりできません。読み返してみても、大事なことには触れていません。
何かが足りない。何かがぼやけている。
読み終わってもそんな気持ちです。
何度も書きますが、素材はいいと思います。
2巻の内容によっては、1巻を帳消しにできるかもしれません。
それでも、この本だけの感想を、と請われれば、残念ながら上記のような感想となってしまいます。できれば、2巻では、私のこの浅はかな考えを吹っ飛ばしてくれるぐらいの展開をしてほしいです。
それでは、ここからは触れていなかった「ネタバレ」を含みつつ、もう少し書いてみます。
ネタバレを読みたくない方は、ここで読むのをやめてください。
行数を10行くらい空けておきますね。
本当に読みますか?ネタバレありですよ?
では、書いていきます。
まず、事件簿というタイトルのように事件は各エピソードで発生します。発生するのですが、その原因というか理由というか、動機というか、そういったことが書かれていないのです。
一例として、エピソード4の「エリー」という話について書いてみます。
エリーとは、楠田由宇子の高校・大学時代の友人で容姿端麗な日英ハーフで、両親は貿易会社を経営するお嬢様。そこまで仲が良かったわけではないため卒業後も連絡をとっていたわけではないが、ある日エリーから23歳の誕生日パーティーに誘う手紙が届く。パーティー会場は伊豆の沖合にある初島という孤島で行われる。
といった導入文から始まるのですが、このエピソードには主人公である古戸時久は出てきません。もちろん、楠田はこの時点で古戸の古書堂のバイトなのですが、古書堂との接点はそこだけです。
つまり、楠田が古書堂勤務というだけで、事件の内容について古書堂とは何の関係もありません。ちなみに、これはエピソード4だけではなく、エピソード1を除けばあまり古書堂とは関係のない話だったりします。
その後ストーリーは、孤島に閉じ込められた形になったパーティーの参加者が殺される展開となっていくのですが、その犯人というか殺人者の正体が唐突に「ヴァンパイア」であると告げられるのです。
え、ちょっと待って?ヴァンパイアって?
頭の中がパニックです。
密室で殺人が行われるような展開はよくあるかもしれません。ですが、その犯人は人間であってほしいのです。殺人事件が起こるのであれば、殺人という行為自体は褒められないにしても、人間が密室であることを利用し、考え、ばれないようなトリックでもって殺人を犯してほしいのです。
ですが、この物語は唐突に人外の生物が話の中で出現します。
ファンタジーならそれでもいいでしょう。しかし、これは「滴水古書堂の~事件簿」っていうタイトルですよ?事件が起きたのですよ?ヴァンパイアがいたって、それ事件でもなんでもない、人知を超えた超常現象だし、全世界が注目すべき事象です。
このヴァンパイアはさすがに人間の力ではどうすることもできず、楠田も「もはやこれまで。。。」まで追い込まれるのですが、そのヴァンパイアを倒したのは、最初にヴァンパイアに頭を銃で撃たれて死んでしまった赤門という男で、この赤門曰く「私は吸血鬼ではないが、頭を撃たれて生きているのは別の術理によるものだ」
いやいやいや。。。
何がどうなってるの?
さすがに、この展開がありならなんでもありになってしまいませんか?
前述しましたが、第2巻以降でこの超常現象に対する答えが明示されるのであれば、私の評価も変わってくるとは思います。思いますが、あくまでもこの第1巻だけで判断すれば、何でもありの展開では説得力が皆無です。主人公である古戸についても、右半身に謎のチカラを秘めており、物語中で数回そのチカラを使うのですが、このチカラについても何も書かれていないのです。
理由のないチカラという存在は、読者に消化不良を起こさせるだけではないでしょうか。作者の頭の中にはすでにプロットが作られており、それに基づいて話を紡いでいくために気が積まないのかもしれません。あるいは第2回以降を見据えて、故意に情報を出していないだけかもしれません。
それでも、第1巻を手にした読者に情報を与えないままにしておくのは、不親切であると感じています。エピソードを1つ、2つ削っても、このあたりの詳細をストーリーに影響がない範囲で書いておくべきだったと私は感じています。
こうしたこともあって、読後の感想を「もったいない」と表現しました。
ストリーは読みやすく、キャラクターもしっかり作られている。それだけに、もっともっと楽しめる物語にできるのではないかとの思いが消えません。
ちなみに、この物語で一番気になったのは、プロローグに出てくる楠田を襲った男です。強盗か強姦が目的はわからないが、楠田に組み付こうとしてきた男に対し、空手二段の腕前で人間の弱点を的確に攻撃し、相手を倒してしまう。とどめを刺す前に古戸に止められたが、倒れた相手は気絶し、歯を折り、鼻からは大量の出血をしている状態になっています。
古戸に誘われたことで、彼の古書堂に移動するのですが、この重体の男は放置されたままです。
いくらなんでも、気絶している重体の人間を放置するってのは、どうなんでしょう。
この男、その後助かったのかなぁ。。。
それでは、まずは本の情報から。
滴水古書堂の名状しがたき事件簿 1
講談社 2019年8月5日 第1刷発行
黒崎江治(くろさき こうじ)
それでは、レビューです。
タイトルに「ほにゃららの事件簿」って書いてあれば、多くの方はミステリー小説だと判断するのではないでしょうか?
私はそう判断してしまいます。そのため、この本を手に取った時の感想としては、「古書堂かぁ。前にすげーヒットした古書店の小説があったなぁ」って感じでした。私を高揚させたのは、帯の推薦文を京極夏彦さんが書いていたこと。大好きなミステリー作家。姑獲鳥の夏の衝撃は未だに忘れられない。
この帯があったもんで、この本のハードルがぐぐいっっと上がってしまったのは、しょうがないことでしょう、きっと。だってこの帯の文章がまたいいんだもん。古書店を舞台にどんなストーーリーが繰り広げられるんだろう?古書店のマスターはどんな人間なのだろう?
そりゃ期待は膨らみまくりますって。
はい、読み終わりました。
うーん。
うーんうーん。。。
ミステリー・・・かなぁ?
ファンタジー・・・?でもないよなぁ。
もったいない、ってのが第一印象でした。素材はいいんですよ。ただ調理の仕方がちょっと雑じゃないのかなぁ、という感じなのです。
おもしろいか、おもしろくないか、と聞かれれば、おもしろいですよ。おもしろいだけに、もったいないんです。
ネタばれにならない程度に内容を書きます。
タイトルにもある「滴水古書堂」の店主でもある古戸時久(ふるど ときひさ)と、ちょっとした事件で知り合った楠田由宇子(くすだ ゆうこ)が古戸の誘いを受けて滴水古書堂のバイトとなるプロローグから話は始まります。ストーリーはエピソード1から5に分かれており、短編連作とという形で構成されています。各エピソードに関連性はないのですが、プロローグからエピソード5まで時間軸の流れに沿って物語は書かれています。
さて、やはりどこまでもタイトルに引っ張られてしまうのですが、事件はおきます。各エピソードに異なる事件が書かれています。その事件が、普通ではないのです。前述のように私はこの小説のジャンルについて断言できていません。それは事件の内容に問題があるからです。
全てのエピソードの事件が超常の現象なのです。
もっと簡単に書けば「オカルト」っぽいのです。
主人公である古戸さんは、エピソード1でオカルトじゃないよ、って言ってる場面がありますが、読んでるこちらとしては、いやいやオカルトでしょ?って突っ込みたくなってしまう。
さらに言えば、おさまりの悪い話が多いのです。
オカルトを否定するわけじゃありません。むしろは私はオカルトや超常現象、UMAといった話は大好物です。ですので、オカルトを用いてもいいから「なるほど」とか「あー、そうきたかぁ」とか、読者を唸らせてほしいのです。名探偵が知恵をしぼり、事実を積み上げ、犯人を特定していくように、事件を解決するには説得力が必要だと思うのです。
超常のチカラというのは、理由もなく、そういうものである、ということは理解できますが、それを事件性のある話の中に組み込んでしまうと、現実という世界からは外れてしまい、非日常の出来事、つまり読者には伝わりにくい話になってしまいます。
言い方は悪いかもしれませんが、何でもありの世界には共感しにくいと私は考えています。
この本はタイトルに1巻と明記されているので、2巻は必ず発行されるのでしょう。もしかしたら、2巻以降で少しづつ詳細が語られていくのかもしれません。そうであったとしても、まず全員がこの第1巻を手に取ります。私のように、何も事前情報無しに読み進めれば、1巻の内容で次巻以降を購入するかどうか考える人もいるでしょう。
現状、2巻を読みたいか?と聞かれれば、申し訳ないですが返答はNOです。
消化不良すぎるのです。全てが唐突で、書かれないことが多い。もちろん、書かないことで読者の想像に任せて楽しんでもらう手法もあるかもしれませんが、この本に関してそれはありません。
想像ができないんです。
「え?なに?今のは何?」
そんな気持ちになることが多く、すっきりできません。読み返してみても、大事なことには触れていません。
何かが足りない。何かがぼやけている。
読み終わってもそんな気持ちです。
何度も書きますが、素材はいいと思います。
2巻の内容によっては、1巻を帳消しにできるかもしれません。
それでも、この本だけの感想を、と請われれば、残念ながら上記のような感想となってしまいます。できれば、2巻では、私のこの浅はかな考えを吹っ飛ばしてくれるぐらいの展開をしてほしいです。
それでは、ここからは触れていなかった「ネタバレ」を含みつつ、もう少し書いてみます。
ネタバレを読みたくない方は、ここで読むのをやめてください。
行数を10行くらい空けておきますね。
本当に読みますか?ネタバレありですよ?
では、書いていきます。
まず、事件簿というタイトルのように事件は各エピソードで発生します。発生するのですが、その原因というか理由というか、動機というか、そういったことが書かれていないのです。
一例として、エピソード4の「エリー」という話について書いてみます。
エリーとは、楠田由宇子の高校・大学時代の友人で容姿端麗な日英ハーフで、両親は貿易会社を経営するお嬢様。そこまで仲が良かったわけではないため卒業後も連絡をとっていたわけではないが、ある日エリーから23歳の誕生日パーティーに誘う手紙が届く。パーティー会場は伊豆の沖合にある初島という孤島で行われる。
といった導入文から始まるのですが、このエピソードには主人公である古戸時久は出てきません。もちろん、楠田はこの時点で古戸の古書堂のバイトなのですが、古書堂との接点はそこだけです。
つまり、楠田が古書堂勤務というだけで、事件の内容について古書堂とは何の関係もありません。ちなみに、これはエピソード4だけではなく、エピソード1を除けばあまり古書堂とは関係のない話だったりします。
その後ストーリーは、孤島に閉じ込められた形になったパーティーの参加者が殺される展開となっていくのですが、その犯人というか殺人者の正体が唐突に「ヴァンパイア」であると告げられるのです。
え、ちょっと待って?ヴァンパイアって?
頭の中がパニックです。
密室で殺人が行われるような展開はよくあるかもしれません。ですが、その犯人は人間であってほしいのです。殺人事件が起こるのであれば、殺人という行為自体は褒められないにしても、人間が密室であることを利用し、考え、ばれないようなトリックでもって殺人を犯してほしいのです。
ですが、この物語は唐突に人外の生物が話の中で出現します。
ファンタジーならそれでもいいでしょう。しかし、これは「滴水古書堂の~事件簿」っていうタイトルですよ?事件が起きたのですよ?ヴァンパイアがいたって、それ事件でもなんでもない、人知を超えた超常現象だし、全世界が注目すべき事象です。
このヴァンパイアはさすがに人間の力ではどうすることもできず、楠田も「もはやこれまで。。。」まで追い込まれるのですが、そのヴァンパイアを倒したのは、最初にヴァンパイアに頭を銃で撃たれて死んでしまった赤門という男で、この赤門曰く「私は吸血鬼ではないが、頭を撃たれて生きているのは別の術理によるものだ」
いやいやいや。。。
何がどうなってるの?
さすがに、この展開がありならなんでもありになってしまいませんか?
前述しましたが、第2巻以降でこの超常現象に対する答えが明示されるのであれば、私の評価も変わってくるとは思います。思いますが、あくまでもこの第1巻だけで判断すれば、何でもありの展開では説得力が皆無です。主人公である古戸についても、右半身に謎のチカラを秘めており、物語中で数回そのチカラを使うのですが、このチカラについても何も書かれていないのです。
理由のないチカラという存在は、読者に消化不良を起こさせるだけではないでしょうか。作者の頭の中にはすでにプロットが作られており、それに基づいて話を紡いでいくために気が積まないのかもしれません。あるいは第2回以降を見据えて、故意に情報を出していないだけかもしれません。
それでも、第1巻を手にした読者に情報を与えないままにしておくのは、不親切であると感じています。エピソードを1つ、2つ削っても、このあたりの詳細をストーリーに影響がない範囲で書いておくべきだったと私は感じています。
こうしたこともあって、読後の感想を「もったいない」と表現しました。
ストリーは読みやすく、キャラクターもしっかり作られている。それだけに、もっともっと楽しめる物語にできるのではないかとの思いが消えません。
ちなみに、この物語で一番気になったのは、プロローグに出てくる楠田を襲った男です。強盗か強姦が目的はわからないが、楠田に組み付こうとしてきた男に対し、空手二段の腕前で人間の弱点を的確に攻撃し、相手を倒してしまう。とどめを刺す前に古戸に止められたが、倒れた相手は気絶し、歯を折り、鼻からは大量の出血をしている状態になっています。
古戸に誘われたことで、彼の古書堂に移動するのですが、この重体の男は放置されたままです。
いくらなんでも、気絶している重体の人間を放置するってのは、どうなんでしょう。
この男、その後助かったのかなぁ。。。
読者による文学賞の二次選考で受け持ったタイトル紹介
2020年1月21日 読書前回のブログでやたら長文を書いてしまったんですけど、勢いだけの人なものですみませんでした。読むのは好きだけど、書くのも好きなんですよ。
さて、前回紹介しました「読者による文学賞」についてですが、私は二次選考を担当しております。私が担当したのは10冊で、いずれも読んでいない本ばかりです。
限られた時間の中で、通常のペースよりも速い感覚で読書をするのは初めてですが、やるからには一生懸命読んで、悩んで、感想を書いていきますので、楽しんでいただけたらと思います。
もちろん、私は普通のサラリーマンなもので書評を得意としているわけではありません。ですので、見当違いのことも書いてしまうかもしれませんし、読んでいる方をイライラさせてしまうかもしれません。
生暖かい目で見守っていただけると幸いです。
それでは、私の担当する10冊です。
おそらく、書いた順番が読む順番になると思います。
本のタイトル 作者名
1.滴水古書堂の名状しがたき事件簿 1 黒崎 江治
2.Unnamed Memory I 青き月の魔女と呪われし王 古宮 九時
3.三体 劉 慈欣
4.魔眼の匣の殺人 今村 昌弘
5.オカルトちゃんねる lpp
6.ブリタンニア物語 十織
7.うつせみ屋奇譚 妖しのお宿と消えた浮世絵 遠藤 由実子
8.スズメの事ム所 駆け出し探偵と下町の怪人たち 朱川 湊人
9.ボーズ・ミーツ・ガール 1 住職は異世界で破戒する 鵜狩三善
10.オーバーストーリー リチャード パワーズ
この10冊です!
この10冊は、今回の候補作品の中から、自分が読みたい本を一次選択として15冊選択し、他の選考者の方の希望とすり合わせて、その後二次選択を経て私の担当作品となりました。
全部楽しみなのですが、その中でも普段はたぶん買わないようなタイトルも含まれていますので、自分の読書スタイルにどんな影響を与えてくれるか、ということも楽しみです。
他の選考者の方もおっしゃっていますが、読書好きの方が2019年の出版された本の中から「この1冊!」と選んでくれた本ですので、読んでいて面白い本ばかりだそうで。
嬉しい悲鳴ってやつですね。
皆さん今は選考作品を読んでいる段階なので「面白い」とか「すごく楽しい」とか感じているかもしれませんが、私たちは最終選考に進む本を選ぶために読んでいるのです。推薦してくれた方が面白いと言っている本の中から1冊にしぼる必要があるのです。
選ぶ段階になれば、悩んで迷って胃が痛くなるんだろうなー。
それでも、楽しみしかないですね!
随時レビューをあげていきます。
さて、前回紹介しました「読者による文学賞」についてですが、私は二次選考を担当しております。私が担当したのは10冊で、いずれも読んでいない本ばかりです。
限られた時間の中で、通常のペースよりも速い感覚で読書をするのは初めてですが、やるからには一生懸命読んで、悩んで、感想を書いていきますので、楽しんでいただけたらと思います。
もちろん、私は普通のサラリーマンなもので書評を得意としているわけではありません。ですので、見当違いのことも書いてしまうかもしれませんし、読んでいる方をイライラさせてしまうかもしれません。
生暖かい目で見守っていただけると幸いです。
それでは、私の担当する10冊です。
おそらく、書いた順番が読む順番になると思います。
本のタイトル 作者名
1.滴水古書堂の名状しがたき事件簿 1 黒崎 江治
2.Unnamed Memory I 青き月の魔女と呪われし王 古宮 九時
3.三体 劉 慈欣
4.魔眼の匣の殺人 今村 昌弘
5.オカルトちゃんねる lpp
6.ブリタンニア物語 十織
7.うつせみ屋奇譚 妖しのお宿と消えた浮世絵 遠藤 由実子
8.スズメの事ム所 駆け出し探偵と下町の怪人たち 朱川 湊人
9.ボーズ・ミーツ・ガール 1 住職は異世界で破戒する 鵜狩三善
10.オーバーストーリー リチャード パワーズ
この10冊です!
この10冊は、今回の候補作品の中から、自分が読みたい本を一次選択として15冊選択し、他の選考者の方の希望とすり合わせて、その後二次選択を経て私の担当作品となりました。
全部楽しみなのですが、その中でも普段はたぶん買わないようなタイトルも含まれていますので、自分の読書スタイルにどんな影響を与えてくれるか、ということも楽しみです。
他の選考者の方もおっしゃっていますが、読書好きの方が2019年の出版された本の中から「この1冊!」と選んでくれた本ですので、読んでいて面白い本ばかりだそうで。
嬉しい悲鳴ってやつですね。
皆さん今は選考作品を読んでいる段階なので「面白い」とか「すごく楽しい」とか感じているかもしれませんが、私たちは最終選考に進む本を選ぶために読んでいるのです。推薦してくれた方が面白いと言っている本の中から1冊にしぼる必要があるのです。
選ぶ段階になれば、悩んで迷って胃が痛くなるんだろうなー。
それでも、楽しみしかないですね!
随時レビューをあげていきます。
読者による文学賞という試みに共感
2020年1月19日 読書昨年の11月頃にTwitterを何気なーく見てたら、ある方のツイートが気になりました。
#読者による文学賞
というハッシュタグ。ふむ。なんか楽しそう。
その方は「まつさん(@aozorabunkorev1)」という方で、反響が大きければ本格的にこの文学賞を実行してみたい、と書かれていた。
読者による文学賞かぁ。
世の中に文学賞は色々あるけど、たしかに読者である私たちが選べるような文学賞ってあまり無いかもしれない。参加できないから、どんな選考が行われて、どんな経緯で、どんな方が、どの作品を推していたのかはわからない。
なるほどなぁ。いい試みだよね。
ってことで、全然知らない方でしたけど、すぐにフォローして、DMで連絡して、私も混ざりたいことを伝えてみました。
読書が好きなら、1回くらい文学賞の選考をやってみたいしね。
で、そこからなんやかんやで今に至りますw
端折りすぎかな?
運営というか、全体のスケジュールや統括はまつさんが行ってくれるので、私たちはなるべく多くの方に知ってもらうために、Twitterで拡散してるうちに一次募集が始まって、今は二次選考の真っ最中。
私は今回二次選考を受け持つことになりましたので、今はみなさんが推薦してくれた本のなかから10冊を期限内に全部読んで、読んだうえでの乾燥というかレビューを行って、最終選考に進む書籍を選びます。
今回まつさんが立ち上げたこの読者による文学賞は、読者が本当に読んでほしい、広まってほしい、埋もれている作品を世の中に知ってもらいたい、という気持ちから立ち上げました。このあたりに関して興味のある方は、是非まつさんのTwitterやHPを見てください。
この考え方から本を選考するので、現在売れているような本が最終選考に進めず、あまり聞いたことのない書籍が最終選考に進むということがあるかもしれません。もちろん、売れている書籍でも、選考委員の方がもっと読まれてほしいと感じれば、最終選考に進むこともあります。このあたりは、選考をする方によって感じ方も違いますので、簡単に決められる部分ではないかもしれません。
大事なことなので書いておきたいのですが、選考者は自分に割り振られた書籍は全て読みます。読んだうえで最終選考に進む1冊を決めています。
もちろん、これから行われる最終選考の方々も、最終選考に選ばれた書籍を全て読んだうえで最終選考を行います。
また、全ての書籍のレビューについても公開する予定です。
これは読み手である選考者がどう感じ、どう受け止めたかを明確にすることで、オープンな選考が行われたことを知ってもらうためです。
書籍の文学賞を興味をもって注目している方は、作品が選ばれるたびにどのような過程で選ばれたのか気になっていませんか?そもそも最終選考に選ばれる数冊はどのように選ばれたのか知りたくありませんか?
読者による文学賞は選考するにあたり「埋もれている作品の発掘」をテーマに掲げて、なるべく興味を持ってくれた方がすっきりと受賞作に対し納得してもらえるように取り組んでいます。
もちろん、人によって受け取り方は異なります。おそらくレビューに対して厳しい意見は寄せられると思います。
ただ、今回はそれでいいとも考えています。
ここからは私個人の考えですが、肯定も否定も同じ意見ですし、それぞれ様々な境遇にあるのですから、絶対的な1冊というものは出てこないと思っています。
大事なことは、この賞は「読者がえらぶ」賞なのです。
そうです。否定をするのであれば、次の読者による文学賞の選考者に応募して、自分の意見を堂々と述べればいいのです。賛否両論色々あって、その中でもその年の1冊を決める過程は全部公開される。
楽しいと思いませんか?
やってみたいと思いませんか?
今後、私が受け持った10冊について、なんらかの形(おそらくまつさんのTwitterかHPだと思います)で公開されるでしょう。まつさんの了解がとれれば、このブログにも掲載しようと思っています。
本好きが本好きのために推薦してくれた本を、本好きが読んで、悩んで、選んで、本好きにその年に発行された一番読んでほしいタイトルを決定する文学賞。
本好きだったら一緒に楽しみましょうよ。
今は2019年の選考でまだ全然話に出てきていませんが、私はまつさんが来年以降も読者による文学賞を続けてくれると思っています。
まずは2019年の発表を。
つぎは2020年の選考を。
そしていつかは、出版界も無視できないくらいの規模に。
夢は大きいほうが楽しいですもんね。
一緒に楽しみませんか?
#読者による文学賞
というハッシュタグ。ふむ。なんか楽しそう。
その方は「まつさん(@aozorabunkorev1)」という方で、反響が大きければ本格的にこの文学賞を実行してみたい、と書かれていた。
読者による文学賞かぁ。
世の中に文学賞は色々あるけど、たしかに読者である私たちが選べるような文学賞ってあまり無いかもしれない。参加できないから、どんな選考が行われて、どんな経緯で、どんな方が、どの作品を推していたのかはわからない。
なるほどなぁ。いい試みだよね。
ってことで、全然知らない方でしたけど、すぐにフォローして、DMで連絡して、私も混ざりたいことを伝えてみました。
読書が好きなら、1回くらい文学賞の選考をやってみたいしね。
で、そこからなんやかんやで今に至りますw
端折りすぎかな?
運営というか、全体のスケジュールや統括はまつさんが行ってくれるので、私たちはなるべく多くの方に知ってもらうために、Twitterで拡散してるうちに一次募集が始まって、今は二次選考の真っ最中。
私は今回二次選考を受け持つことになりましたので、今はみなさんが推薦してくれた本のなかから10冊を期限内に全部読んで、読んだうえでの乾燥というかレビューを行って、最終選考に進む書籍を選びます。
今回まつさんが立ち上げたこの読者による文学賞は、読者が本当に読んでほしい、広まってほしい、埋もれている作品を世の中に知ってもらいたい、という気持ちから立ち上げました。このあたりに関して興味のある方は、是非まつさんのTwitterやHPを見てください。
この考え方から本を選考するので、現在売れているような本が最終選考に進めず、あまり聞いたことのない書籍が最終選考に進むということがあるかもしれません。もちろん、売れている書籍でも、選考委員の方がもっと読まれてほしいと感じれば、最終選考に進むこともあります。このあたりは、選考をする方によって感じ方も違いますので、簡単に決められる部分ではないかもしれません。
大事なことなので書いておきたいのですが、選考者は自分に割り振られた書籍は全て読みます。読んだうえで最終選考に進む1冊を決めています。
もちろん、これから行われる最終選考の方々も、最終選考に選ばれた書籍を全て読んだうえで最終選考を行います。
また、全ての書籍のレビューについても公開する予定です。
これは読み手である選考者がどう感じ、どう受け止めたかを明確にすることで、オープンな選考が行われたことを知ってもらうためです。
書籍の文学賞を興味をもって注目している方は、作品が選ばれるたびにどのような過程で選ばれたのか気になっていませんか?そもそも最終選考に選ばれる数冊はどのように選ばれたのか知りたくありませんか?
読者による文学賞は選考するにあたり「埋もれている作品の発掘」をテーマに掲げて、なるべく興味を持ってくれた方がすっきりと受賞作に対し納得してもらえるように取り組んでいます。
もちろん、人によって受け取り方は異なります。おそらくレビューに対して厳しい意見は寄せられると思います。
ただ、今回はそれでいいとも考えています。
ここからは私個人の考えですが、肯定も否定も同じ意見ですし、それぞれ様々な境遇にあるのですから、絶対的な1冊というものは出てこないと思っています。
大事なことは、この賞は「読者がえらぶ」賞なのです。
そうです。否定をするのであれば、次の読者による文学賞の選考者に応募して、自分の意見を堂々と述べればいいのです。賛否両論色々あって、その中でもその年の1冊を決める過程は全部公開される。
楽しいと思いませんか?
やってみたいと思いませんか?
今後、私が受け持った10冊について、なんらかの形(おそらくまつさんのTwitterかHPだと思います)で公開されるでしょう。まつさんの了解がとれれば、このブログにも掲載しようと思っています。
本好きが本好きのために推薦してくれた本を、本好きが読んで、悩んで、選んで、本好きにその年に発行された一番読んでほしいタイトルを決定する文学賞。
本好きだったら一緒に楽しみましょうよ。
今は2019年の選考でまだ全然話に出てきていませんが、私はまつさんが来年以降も読者による文学賞を続けてくれると思っています。
まずは2019年の発表を。
つぎは2020年の選考を。
そしていつかは、出版界も無視できないくらいの規模に。
夢は大きいほうが楽しいですもんね。
一緒に楽しみませんか?
何回再開するんだか(*´-`)
2020年1月18日 普通に日記何年ぶりかね…
ゲームと音楽と読書とプラモの日常生活に、ちょっとした変化があり、またブログ書きたくなりました。
本当はブログと並行して音声の配信なんかも挑戦してみたいけど、まぁそれは生活のリズムを構築してからかな。
まぁ現状このブログを見てる人はいないと思うけど、なにかの機会で目にすることがありましたら、今後もよろしくお願いします。
ゲームと音楽と読書とプラモの日常生活に、ちょっとした変化があり、またブログ書きたくなりました。
本当はブログと並行して音声の配信なんかも挑戦してみたいけど、まぁそれは生活のリズムを構築してからかな。
まぁ現状このブログを見てる人はいないと思うけど、なにかの機会で目にすることがありましたら、今後もよろしくお願いします。
プロレスって、今は一般的にはどのような評価を受けているのでしょう?
私が子供だった頃は、大人も子供も夢中になれるスポーツである反面、八百長であると発言する人も少なくなかったように感じます。
自分の中で二度目のプロレスブームだった大学生のときは、だいぶ真剣勝負ということが曖昧になりつつも、プロレスから分派した「U系」と呼ばれる団体や、異なる団体同士の対抗戦のおかげか、幻想はまだ守られていた部分もあったかもしれません。
で、現在はというと、様々なメディア、特にプロレスにかかわった方が書いた暴露本のようなものが出回ったせいで、「プロレス=結末の用意されたショー」という評価が定着しているように感じます。
この本では、プロレス団体である新日本プロレスから派生した「UWF」という団体について書かれています。このUWFという団体は、それまでのプロレスでは使われなかった打撃や関節技を中心に組み立てる試合内容だったこともあり、当時大いに受け入れられたようです。私は中学生になる前だったので、テレビ中継の無いUWFの試合をリアルタイムで見ることはできなかったのですが、今残されている映像を見れば、たしかに当時のプロレスとは異なるスタイルであったように感じます。
プロレスというスポーツがあらゆる格闘技の中で最強であるという認識は、アントニオ猪木と団体によって作られたイメージだったと思います。私もそう思っていた時期がありました。
ただ、やはり違和感を感じることは多々ありました。
その違和感とは「勝敗」に関してが中心でした。
勝敗予想が当たるのです。これが競馬のようにお金をかけることができたとすれば、パーフェクト予想も可能では?と感じさせるくらいに勝敗予想は当たりました。
プロレスにどっぷり浸かっていた大学時代は、フィニッシュホールドまで予想できたくらいです。
そのあたりで違和感が一つの疑問となります。
プロレスって、やっぱり勝敗は最初から決められていて、フィニッシュまで詳細に決められているのではないだろうか?
この疑問は度々襲ってくるのですが、その都度頑なに否定をしようと試みます。
そんな中でUWFという打撃と極め技を主体に行う団体は、様々な形に姿を変え、団体を分裂させていくのですが、どの団体も真剣勝負を行っていると感じさせるものでした。
少なくとも当時はそう思っていました。
さて、この本ですが、自分のなかでもやもやしていたことが、ようやくすっきりできたような気がする内容でした。まぁ、他に出ていた暴露本のようなものでも、もっと早くこの気持ちに到達できたかもしれないけど、最後まで信じたかった「UWF」についてここまで詳細に、しかも関係者の言葉で語られれば、そりゃ気持ちに整理もつくってもんです。
まぁ、それでもね、プロレスは今でも大好きなのですよ。
本当の試合のように見せる技術と、レスラーの鍛えた体ってのは、やはり説得力があり、これはショーである、と言われてもがっちり楽しめると思います。
UWFっていう団体がプロレスや格闘技に大きな影響を与えたのは間違いないことだし、日本におけるリアルファイトの流れが、その根っこを探ればプロレスに戻ることは誰もが異論はないと思います。
当時、プロレスはショーであるとレスラーは知っていたのでしょうが、そこからプロレスは最強の格闘技であることを証明するためにリアルファイトの中に入っていったその勇気は、本物だと思うのです。
どんな相手にも引くことをしなかったプロレスラーは、プロレスは最強にできなかったけど、プロレスラーの心は称賛されるべきものだったと思いますね。
私が子供だった頃は、大人も子供も夢中になれるスポーツである反面、八百長であると発言する人も少なくなかったように感じます。
自分の中で二度目のプロレスブームだった大学生のときは、だいぶ真剣勝負ということが曖昧になりつつも、プロレスから分派した「U系」と呼ばれる団体や、異なる団体同士の対抗戦のおかげか、幻想はまだ守られていた部分もあったかもしれません。
で、現在はというと、様々なメディア、特にプロレスにかかわった方が書いた暴露本のようなものが出回ったせいで、「プロレス=結末の用意されたショー」という評価が定着しているように感じます。
この本では、プロレス団体である新日本プロレスから派生した「UWF」という団体について書かれています。このUWFという団体は、それまでのプロレスでは使われなかった打撃や関節技を中心に組み立てる試合内容だったこともあり、当時大いに受け入れられたようです。私は中学生になる前だったので、テレビ中継の無いUWFの試合をリアルタイムで見ることはできなかったのですが、今残されている映像を見れば、たしかに当時のプロレスとは異なるスタイルであったように感じます。
プロレスというスポーツがあらゆる格闘技の中で最強であるという認識は、アントニオ猪木と団体によって作られたイメージだったと思います。私もそう思っていた時期がありました。
ただ、やはり違和感を感じることは多々ありました。
その違和感とは「勝敗」に関してが中心でした。
勝敗予想が当たるのです。これが競馬のようにお金をかけることができたとすれば、パーフェクト予想も可能では?と感じさせるくらいに勝敗予想は当たりました。
プロレスにどっぷり浸かっていた大学時代は、フィニッシュホールドまで予想できたくらいです。
そのあたりで違和感が一つの疑問となります。
プロレスって、やっぱり勝敗は最初から決められていて、フィニッシュまで詳細に決められているのではないだろうか?
この疑問は度々襲ってくるのですが、その都度頑なに否定をしようと試みます。
そんな中でUWFという打撃と極め技を主体に行う団体は、様々な形に姿を変え、団体を分裂させていくのですが、どの団体も真剣勝負を行っていると感じさせるものでした。
少なくとも当時はそう思っていました。
さて、この本ですが、自分のなかでもやもやしていたことが、ようやくすっきりできたような気がする内容でした。まぁ、他に出ていた暴露本のようなものでも、もっと早くこの気持ちに到達できたかもしれないけど、最後まで信じたかった「UWF」についてここまで詳細に、しかも関係者の言葉で語られれば、そりゃ気持ちに整理もつくってもんです。
まぁ、それでもね、プロレスは今でも大好きなのですよ。
本当の試合のように見せる技術と、レスラーの鍛えた体ってのは、やはり説得力があり、これはショーである、と言われてもがっちり楽しめると思います。
UWFっていう団体がプロレスや格闘技に大きな影響を与えたのは間違いないことだし、日本におけるリアルファイトの流れが、その根っこを探ればプロレスに戻ることは誰もが異論はないと思います。
当時、プロレスはショーであるとレスラーは知っていたのでしょうが、そこからプロレスは最強の格闘技であることを証明するためにリアルファイトの中に入っていったその勇気は、本物だと思うのです。
どんな相手にも引くことをしなかったプロレスラーは、プロレスは最強にできなかったけど、プロレスラーの心は称賛されるべきものだったと思いますね。
系外惑星と太陽系 (岩波新書)
2017年6月3日 読書
最近ニュース等でも話題になることが多い「系外惑星」に関する本ですね。比較的最近になって発行された新書です。
系外惑星の話題が出ると、必ずと言っていいほど「第2の地球」の話がついてきます。
やはり太陽系、銀河系の外に惑星を発見した!ってなると、生物は生存可能なのか?と気になるのはしょうがないですよね。
地球に似た惑星があってほしいとは思います。やはり、地球だけ生物が生存できるってことになると寂しいですもんね。ただし、それが「地球のような惑星」である必要はないと思うのです。
地球上にも、私たち人間が住むには適さない場所が存在します。
水中、特に深海ですね。
水の中に住むことはできませんが、なんらかの技術で水面近くに居住空間を作って住むことはできるかもしれません。
それでも深海は無理でしょう。
そんな人間が住めない深海でも、深海を主として生きている生物がいます。
私たちの想像をはるかに超える生物は存在するのです。
それであれば、系外惑星も「地球である必要はない」と思うんです。
生物が発生する何らかの条件を満たし、その惑星に合わせた独自の進化を遂げた生物がいるのであれば、それはそれで見てみたいですよね。
長々と書いてしまいましたが、何が言いたかったって、色々と考えさせられた新書ですよってことですw
まったく本の紹介になってないですけど。。。
いや、すごく興味深く読ませてもらったんですよ。
ただ、私の頭では紹介できるほどかみ砕くことができなかったもんで、この本を読みながら考えてたことをだらだら書いてみました。
興味ある方は、自分で読んで、私にかみ砕いて説明してくださいw
系外惑星の話題が出ると、必ずと言っていいほど「第2の地球」の話がついてきます。
やはり太陽系、銀河系の外に惑星を発見した!ってなると、生物は生存可能なのか?と気になるのはしょうがないですよね。
地球に似た惑星があってほしいとは思います。やはり、地球だけ生物が生存できるってことになると寂しいですもんね。ただし、それが「地球のような惑星」である必要はないと思うのです。
地球上にも、私たち人間が住むには適さない場所が存在します。
水中、特に深海ですね。
水の中に住むことはできませんが、なんらかの技術で水面近くに居住空間を作って住むことはできるかもしれません。
それでも深海は無理でしょう。
そんな人間が住めない深海でも、深海を主として生きている生物がいます。
私たちの想像をはるかに超える生物は存在するのです。
それであれば、系外惑星も「地球である必要はない」と思うんです。
生物が発生する何らかの条件を満たし、その惑星に合わせた独自の進化を遂げた生物がいるのであれば、それはそれで見てみたいですよね。
長々と書いてしまいましたが、何が言いたかったって、色々と考えさせられた新書ですよってことですw
まったく本の紹介になってないですけど。。。
いや、すごく興味深く読ませてもらったんですよ。
ただ、私の頭では紹介できるほどかみ砕くことができなかったもんで、この本を読みながら考えてたことをだらだら書いてみました。
興味ある方は、自分で読んで、私にかみ砕いて説明してくださいw
宇宙はなぜ「暗い」のか?
2017年3月2日 読書
あまり宇宙が暗いとは考えたことはなく、言われてみれば確かに写真等で見ても宇宙空間は暗いように見えます。地球上にいれば昼と夜が交互にやってくるため、宇宙空間でもそのようになるのかな、とも思っていたので、かなり興味深い。
で、読んでみたのですが、うーむ・・・よくわからないw
一応は、理解した、ような気もするのですが、何かもやっとした感じもあり。
うーん・・・
ま、まぁあれですよ。
俺みたいなやつがこんな本を読んで、なるほど!そうだったのか!と理解できるとしたら、そもそも今まで宇宙の暗さについて議論され続けてはいないよね。
ただね、この本を読んでさらに宇宙って不思議だねぇって気持ちになったのは間違いない。
知らないことって多いし、それが興味あることについてであれば、知りたい気持ちは強くなるはずで、私の場合はこの本を読んだ後に、もう一度この本を読んでみましたw
だって、やっぱり知りたいもん。
まぁ、それでもしっかりと理解できたとは思わないけど、少しはかみ砕けたような気がします。
うん、たぶんねw
そういや、ちょっと前に来年末には普通の一般人が月旅行に行けるような話を聞いたような気がするけど、私も生きてる間に宇宙に行くことができるようになるのかな。
そうだとしたら、是非とも自分の目で宇宙の暗さを体験したみたいです。
で、読んでみたのですが、うーむ・・・よくわからないw
一応は、理解した、ような気もするのですが、何かもやっとした感じもあり。
うーん・・・
ま、まぁあれですよ。
俺みたいなやつがこんな本を読んで、なるほど!そうだったのか!と理解できるとしたら、そもそも今まで宇宙の暗さについて議論され続けてはいないよね。
ただね、この本を読んでさらに宇宙って不思議だねぇって気持ちになったのは間違いない。
知らないことって多いし、それが興味あることについてであれば、知りたい気持ちは強くなるはずで、私の場合はこの本を読んだ後に、もう一度この本を読んでみましたw
だって、やっぱり知りたいもん。
まぁ、それでもしっかりと理解できたとは思わないけど、少しはかみ砕けたような気がします。
うん、たぶんねw
そういや、ちょっと前に来年末には普通の一般人が月旅行に行けるような話を聞いたような気がするけど、私も生きてる間に宇宙に行くことができるようになるのかな。
そうだとしたら、是非とも自分の目で宇宙の暗さを体験したみたいです。
ゴールデンスランバー (新潮文庫)
2017年2月12日 読書
久々にすごい小説を読んだなぁ。。。
伊坂幸太郎さんの作品を読んだのは初めてですね。
まぁ昔から、なぜか自分が読んでないうちに人気作家となっている作家さんの本は、意識的に読むことを避けてしまう癖がありまして。
理由はわかんないんだけどねぇ。
伊坂さんについても、面白いとは聞いていましたが、読むのも、本を買うこともしないままでした。
で、このゴールデンスランバー。
読もうと思ったきっかけはもう忘れましたが、伊坂さんの作品ならゴールデンスランバーにしようってのは、なぜか決めていたように記憶しています。
本の裏表紙や帯にちょっとだけ物語の内容を書いたりしてありますけど、それを読んで読みやすそうって思ったんだっけかな。
大まかに章で話をわけて、さらに章の中で登場人物毎に視点が切り替わることで物語を組み上げていくのですが、テレビドラマのよに細かく区切ってくれるので、非常に読みやすいし、展開が頭の中に入ってきやすい。
物語も、限定的な広さの中で同じ場所で展開されていくので、それもわかりやすさに一役かってるのかもしれないね。「あれ、この病院ってあの病院?」とか、「いや、あそこに自動車あるやん」とか。あんまり書くとあれなんで、書きませんけどw
主人公の心の動きもすごかった。こんなひどい立場になんてなりたくないけど、確かにこんな立場に立たされたら、この主人公のように考えちゃうんだろうなぁ。
感情移入できるってのとは違うような気もするけど、理解してあげれるような気がする。
周りの人たちに助けられて、自分で考えて行動して、うまくいったりいかなかったり、助けてあげたり助けられたり、最終的に主人公がたどり着きたかった結果とは違うのかもしれないけど、それでも本人はその状況を自分で消化しているようにも見えるね。
こんな終わり方をする小説ってのは、たぶん初めてだと思うんだけど、これは読む人によって評価が変わるのかな。俺は、小説の中で与えられた情報で、やっぱりそうなんだと理解することで、上手に終わらせたなぁと思ったけど、人によっては「何これ、全然すっきりしないでおわってる」と感じる人もいるかもだね。
いや、でもこの終わり方はすごいよ。
伊坂さんの小説を、もっと読みたいと思う一冊でした。
いや、本当にお見事でした。
伊坂幸太郎さんの作品を読んだのは初めてですね。
まぁ昔から、なぜか自分が読んでないうちに人気作家となっている作家さんの本は、意識的に読むことを避けてしまう癖がありまして。
理由はわかんないんだけどねぇ。
伊坂さんについても、面白いとは聞いていましたが、読むのも、本を買うこともしないままでした。
で、このゴールデンスランバー。
読もうと思ったきっかけはもう忘れましたが、伊坂さんの作品ならゴールデンスランバーにしようってのは、なぜか決めていたように記憶しています。
本の裏表紙や帯にちょっとだけ物語の内容を書いたりしてありますけど、それを読んで読みやすそうって思ったんだっけかな。
大まかに章で話をわけて、さらに章の中で登場人物毎に視点が切り替わることで物語を組み上げていくのですが、テレビドラマのよに細かく区切ってくれるので、非常に読みやすいし、展開が頭の中に入ってきやすい。
物語も、限定的な広さの中で同じ場所で展開されていくので、それもわかりやすさに一役かってるのかもしれないね。「あれ、この病院ってあの病院?」とか、「いや、あそこに自動車あるやん」とか。あんまり書くとあれなんで、書きませんけどw
主人公の心の動きもすごかった。こんなひどい立場になんてなりたくないけど、確かにこんな立場に立たされたら、この主人公のように考えちゃうんだろうなぁ。
感情移入できるってのとは違うような気もするけど、理解してあげれるような気がする。
周りの人たちに助けられて、自分で考えて行動して、うまくいったりいかなかったり、助けてあげたり助けられたり、最終的に主人公がたどり着きたかった結果とは違うのかもしれないけど、それでも本人はその状況を自分で消化しているようにも見えるね。
こんな終わり方をする小説ってのは、たぶん初めてだと思うんだけど、これは読む人によって評価が変わるのかな。俺は、小説の中で与えられた情報で、やっぱりそうなんだと理解することで、上手に終わらせたなぁと思ったけど、人によっては「何これ、全然すっきりしないでおわってる」と感じる人もいるかもだね。
いや、でもこの終わり方はすごいよ。
伊坂さんの小説を、もっと読みたいと思う一冊でした。
いや、本当にお見事でした。
NASAアポロ計画の巨大真相―月はすでにETの基地である
2017年1月28日 読書
この本を読んだのは今日だけど、発刊されたのは2002年12月18日と、結構古い本です。
最近は宇宙に関する本を買いあさって、ちょいちょい読んだりしているんだけど、昔から、それこそ子供の頃からUMAやらUFOといった怪しい話も大好物だったりします。
で、この本。
怪しい本ですw
まぁ副題にETなんて言葉が付いてる時点で「んん??」って感じになるのですが、読むと面白かったりするんですよね。この場合のおもしろいって感情は通常のおもしろいとは違う方向かもしれないけど、肉体労働に疲れた休日に、さっくり読むには最適だったりします。
アポロ計画って聞くと必ず「本当に月に行ったのか?」って話が出てくるよね。我々が見ることができる映像や画像はNASAから提供されたものだけだから、少しでも怪しい部分があると嘘っぽく思っちゃうのかな。
俺は月に行ったと思ってるし、月に降り立ったと思ってる。
アポロ計画って、まだ科学や知識が中途半端に確立されていたあの時代だったからこそ、成功したんじゃないかと思うんだ。ソビエトっていう負けられない国があって、実際に宇宙開発で後れをとっていたからこそ、勢いだけで月まで降り立った計画。俺はそう思うんだ。
現代だと、本当に100%に近い成功率が提示できて、人命がまず第一で、何度も何度も無人機を月に降ろせるくらいの技術と、月から帰れる船の建造技術が確立できていて、ようやく有人飛行にGOサインが出るんでないかね。そんくらい危険を冒すことはできなくなってると思うんだよね。
勢いだけで宇宙に出る。ちょっと怖いけど、その冒険心はすごいと思う。
あ、この本の内容とは全然違うこと書いてるな。
この本は、「読みもの」として読めば面白いよ。
色々な考えの人がいるんだな、って話だね。
最近は宇宙に関する本を買いあさって、ちょいちょい読んだりしているんだけど、昔から、それこそ子供の頃からUMAやらUFOといった怪しい話も大好物だったりします。
で、この本。
怪しい本ですw
まぁ副題にETなんて言葉が付いてる時点で「んん??」って感じになるのですが、読むと面白かったりするんですよね。この場合のおもしろいって感情は通常のおもしろいとは違う方向かもしれないけど、肉体労働に疲れた休日に、さっくり読むには最適だったりします。
アポロ計画って聞くと必ず「本当に月に行ったのか?」って話が出てくるよね。我々が見ることができる映像や画像はNASAから提供されたものだけだから、少しでも怪しい部分があると嘘っぽく思っちゃうのかな。
俺は月に行ったと思ってるし、月に降り立ったと思ってる。
アポロ計画って、まだ科学や知識が中途半端に確立されていたあの時代だったからこそ、成功したんじゃないかと思うんだ。ソビエトっていう負けられない国があって、実際に宇宙開発で後れをとっていたからこそ、勢いだけで月まで降り立った計画。俺はそう思うんだ。
現代だと、本当に100%に近い成功率が提示できて、人命がまず第一で、何度も何度も無人機を月に降ろせるくらいの技術と、月から帰れる船の建造技術が確立できていて、ようやく有人飛行にGOサインが出るんでないかね。そんくらい危険を冒すことはできなくなってると思うんだよね。
勢いだけで宇宙に出る。ちょっと怖いけど、その冒険心はすごいと思う。
あ、この本の内容とは全然違うこと書いてるな。
この本は、「読みもの」として読めば面白いよ。
色々な考えの人がいるんだな、って話だね。
奇談蒐集家 (創元推理文庫)
2016年10月10日 読書
この作家の名前は知っていたのですが、読んだのはこの作品が初めてですね。
タイトル通り、「奇談」を集めている風変りな男を中心に物語が展開していきます。奇談といっても、怖い話から不思議な話まで色々あるわけで、6つの短編のような話が出てきます。
それぞれの話は奇談を蒐集している「恵美酒」という男に、奇談を持つ人が披露をする、という展開はすべて共通です。
この作品は、本当に話の組み上げ方が上手じゃないかなぁと思います。タイトルから、主人公は奇談を集めている=奇談を中心に話が進むということはわかるのですが、最後まで読み進めると、「やられたなぁ・・・」って感覚になりました。
1つ1つの話だけ見てもきれいにまとめられているのはさすがなんですが、6つの話が揃った後に、自分の予想外の展開が待っているとは考えてもいなかった。短編がずらっと並んで、不思議な話を読んだなぁ。。。くらいの感想で終わるとおもっていただけに、かなり驚かされましたね。
創元「推理」文庫で発刊されている理由がよくわかりましたw
物語のすべてがそうであるように、話の内容や結末を書いてしまうことはタブーだと思うので、あえて書きませんが、書きたくて、誰かに話したくてしょうがない!
1つの話をゆっくり読んでいったので、読み終わるまで時間がかかってしまいましたが、おそらく一気に読んだほうが楽しめるんじゃないかなぁと思います。
タイトル通り、「奇談」を集めている風変りな男を中心に物語が展開していきます。奇談といっても、怖い話から不思議な話まで色々あるわけで、6つの短編のような話が出てきます。
それぞれの話は奇談を蒐集している「恵美酒」という男に、奇談を持つ人が披露をする、という展開はすべて共通です。
この作品は、本当に話の組み上げ方が上手じゃないかなぁと思います。タイトルから、主人公は奇談を集めている=奇談を中心に話が進むということはわかるのですが、最後まで読み進めると、「やられたなぁ・・・」って感覚になりました。
1つ1つの話だけ見てもきれいにまとめられているのはさすがなんですが、6つの話が揃った後に、自分の予想外の展開が待っているとは考えてもいなかった。短編がずらっと並んで、不思議な話を読んだなぁ。。。くらいの感想で終わるとおもっていただけに、かなり驚かされましたね。
創元「推理」文庫で発刊されている理由がよくわかりましたw
物語のすべてがそうであるように、話の内容や結末を書いてしまうことはタブーだと思うので、あえて書きませんが、書きたくて、誰かに話したくてしょうがない!
1つの話をゆっくり読んでいったので、読み終わるまで時間がかかってしまいましたが、おそらく一気に読んだほうが楽しめるんじゃないかなぁと思います。
新・天文学入門 カラー版 (岩波ジュニア新書)
2016年7月10日 読書
昔から「宇宙」とか「星座」とかに興味はあったけど、本格的な難しい本を読んだことはなかったので、いつものことながら岩波ジュニア新書の力を借りて、ちょっと基本的なことをお勉強してみようと読んでみました。
結果的には、この本から読んでよかったと思うな。
天文学入門とは書いてあるけど、宇宙の話にもっていくまでに、噛み砕いた説明で段階的に宇宙まで話を展開しているのだけれど、それが非常にわかりやすい。
いや、ジュニア新書で難しいことを書いてしまっては読者が離れてしまうだけなんだけど、それにしても非常にわかりやすく、説明も丁寧で理解した気持ちにさせてくれる。
いやぁ、すごいなぁ。
いつもの癖で興味が出たことに関しては、本を山ほど購入して満足しちゃうパターンになるかと思ったけど、この本を読んでさらに宇宙についてもっと知りたい欲が出てきました。
しばらくの間は宇宙に関する本が読書の中心になるのかな。
日本という国に住んでいて、その日本は地球のほんの一部でしかなくて、その地球は太陽系の惑星の一つで、太陽系は天の川銀河のはずれに存在して・・・
考えれば考えるほど何もわかっていない状態で生きているけど、何もわかっていないことを解明していくってのは、本当に莫大なエネルギーと情熱が必要なんだろうなぁ。
この歳になると様々なことに対して「もっと早く」とか「小さいときから」とかかんがえちゃうんだけど、きっと遅くないはずと考えて、もっともっと活動的になれるようにしないとだな。
結果的には、この本から読んでよかったと思うな。
天文学入門とは書いてあるけど、宇宙の話にもっていくまでに、噛み砕いた説明で段階的に宇宙まで話を展開しているのだけれど、それが非常にわかりやすい。
いや、ジュニア新書で難しいことを書いてしまっては読者が離れてしまうだけなんだけど、それにしても非常にわかりやすく、説明も丁寧で理解した気持ちにさせてくれる。
いやぁ、すごいなぁ。
いつもの癖で興味が出たことに関しては、本を山ほど購入して満足しちゃうパターンになるかと思ったけど、この本を読んでさらに宇宙についてもっと知りたい欲が出てきました。
しばらくの間は宇宙に関する本が読書の中心になるのかな。
日本という国に住んでいて、その日本は地球のほんの一部でしかなくて、その地球は太陽系の惑星の一つで、太陽系は天の川銀河のはずれに存在して・・・
考えれば考えるほど何もわかっていない状態で生きているけど、何もわかっていないことを解明していくってのは、本当に莫大なエネルギーと情熱が必要なんだろうなぁ。
この歳になると様々なことに対して「もっと早く」とか「小さいときから」とかかんがえちゃうんだけど、きっと遅くないはずと考えて、もっともっと活動的になれるようにしないとだな。
大相撲 あなたの知らない土俵の奥 (じっぴコンパクト新書)
2016年3月20日 読書
新書くらいのボリュームが、休日に読むには丁度いいかもね。
さて、久々に日本人横綱が誕生するかもしれないと盛り上がりを見せている大相撲ですが、意外に知らないことが多いもんで、この本を手にとってみました。
国技とも呼ばれるプロスポーツであり、神事でもある大相撲ですが、やっぱり「まわし」のみで戦う姿、さらには重量級の力士がぶつかりあう危険性と重量が多いほうが有利なことが多いためぽっちゃりとした体系ってのもあり、あまり若い人には人気がないかもしれrません。それでも、私ぐらいの人ならば一度はウルフと呼ばれた「千代の富士(現在は九重親方かな)」に憧れた時期もあったと思う。
この本で紹介しているのは、テレビで放送している大相撲を、もう少し突っ込んで楽しめるように、本当に知ってるようで知らないことを解説しています。私もそれなりに知識はあったつもりだけど、知らないことが多すぎて、やっぱり知識というものは調べてみないと得ることはできないと痛感してしまいました。
土俵上の勝負に関することはもちろん、普段の練習から給料のお話、まぁたくさんのあるあるがコンパクトにまとめられて書いてあるので、興味ある人は読んでみるといいぞ。
テレビで見る大相撲が、さらに楽しめると思うな。
さて、久々に日本人横綱が誕生するかもしれないと盛り上がりを見せている大相撲ですが、意外に知らないことが多いもんで、この本を手にとってみました。
国技とも呼ばれるプロスポーツであり、神事でもある大相撲ですが、やっぱり「まわし」のみで戦う姿、さらには重量級の力士がぶつかりあう危険性と重量が多いほうが有利なことが多いためぽっちゃりとした体系ってのもあり、あまり若い人には人気がないかもしれrません。それでも、私ぐらいの人ならば一度はウルフと呼ばれた「千代の富士(現在は九重親方かな)」に憧れた時期もあったと思う。
この本で紹介しているのは、テレビで放送している大相撲を、もう少し突っ込んで楽しめるように、本当に知ってるようで知らないことを解説しています。私もそれなりに知識はあったつもりだけど、知らないことが多すぎて、やっぱり知識というものは調べてみないと得ることはできないと痛感してしまいました。
土俵上の勝負に関することはもちろん、普段の練習から給料のお話、まぁたくさんのあるあるがコンパクトにまとめられて書いてあるので、興味ある人は読んでみるといいぞ。
テレビで見る大相撲が、さらに楽しめると思うな。