人間が人間として生きていくのに、「心」が必要なんだな、とふと思った。他哺乳類や、その他の動物の中でも「心」という概念をもっているのは、人間だけだとする(もしかしたら、どの生物にもあるのかな?)。だとすれば、人間が人間であるために「心」はあり、「心」があるからこそ、人間は人間でいれる。「心」はイコール「思考」や「精神」なんて言葉でも置き換えられるのかな。生物が本能の赴くままに行動するのに対して、人間は欲望を満たしたい欲求にかられても、それを制御することができる。それどころか、本能を押さえ込むことすらできる。
生物として、頂点に君臨している人間は、進化の果てに機械を用いて外部からの進化を果たしている。ただ、その進化は生きていくことを助けてくれるが、生物としての退化を促しているとも思えてしまう。
生物の退化。生物として堕ていくならば。野性に帰れない、生物としての行き止まりに戻るのなら。人間は、機械の進化を得ている状態で「心」を失っていくことにはならないだろうか。「心」を失った進化の極限である「機械=科学」を身に纏った生物。
危険すぎはしないだろうか。
もう、この兆候はでている。そう思う。
昨今の事件。そこに、「恨み」「怒り」「欲望」、そんな負の感情、負の心は存在しない。動機がない。本能に従ったわけでもない。ただ、なんとなくしてしまう。
こんな生物は、野生動物よりも、劣るのではないか。
そして、それをわかっていて、止めることのできない、諭すこのできない、そんな私も、劣るのだろうか。
生物として、頂点に君臨している人間は、進化の果てに機械を用いて外部からの進化を果たしている。ただ、その進化は生きていくことを助けてくれるが、生物としての退化を促しているとも思えてしまう。
生物の退化。生物として堕ていくならば。野性に帰れない、生物としての行き止まりに戻るのなら。人間は、機械の進化を得ている状態で「心」を失っていくことにはならないだろうか。「心」を失った進化の極限である「機械=科学」を身に纏った生物。
危険すぎはしないだろうか。
もう、この兆候はでている。そう思う。
昨今の事件。そこに、「恨み」「怒り」「欲望」、そんな負の感情、負の心は存在しない。動機がない。本能に従ったわけでもない。ただ、なんとなくしてしまう。
こんな生物は、野生動物よりも、劣るのではないか。
そして、それをわかっていて、止めることのできない、諭すこのできない、そんな私も、劣るのだろうか。
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