頭脳対決! 棋士vs.コンピュータ (新潮文庫)
2013年5月4日 読書
2013年5月4日 読了。
興味のある内容だけに、一気読みでした。
電王戦Ⅱが注目され、結果がテレビや新聞等のメディアで取り上げられたのでタイムリーな感じの一冊ですが、内容としては電王戦Ⅱが始まる大分前に書かれたようです。
将棋の女流プロである清水市代6段が「あから2010」という将棋ソフトと対戦したことは、電王戦を見ていたときに知りました。そのときは、「あから2010」という「単体のプログラム」と対戦したと思っていましたが、まさかの合議制ソフトだったのは驚きです。
清水さんの対戦を中心に、人工知能やこれまでの将棋ソフトの変遷、これからの人工知能の行く末と、コンピューターと人間の将棋の関わり方が書かれています。
この本を読まなくてはいけない人は、先日の電王戦を見て将棋の未来に悲観的な考えを持った人でしょうね。清水さんは「あから2010」に負けてしまいましたが、そこに悲壮感は感じさせず、自分の殻を破ったような印象さえ感じさせています。プロの覚悟、将棋会の未来、将棋への思い、それらが敗れたという事実すら霞ませてしまう対局だったのでしょう。
正直なところ、おそらく近い将来にはアマチュアがソフトに勝つことはできなくなる未来が来るはずです。プロですら、トッププロに近い位置にいる人を除いて、全く勝てないようになるかもしれません。
それでも、勝敗だけが将棋というゲームの全てではないでしょう。この本にも書かれていますが、対極に臨む姿勢や、人としての礼儀、そのような目に見えないことが大事だったりします。
昔、俺が子供の頃は、ほとんどの男子は将棋のルールくらいは知っていました。始まる前には「お願いします」、終局すれば「ありがとうございました」、そんな普通のやり取りを覚えていたように記憶しています。
勝敗だけでファンを惹きつけるのであれば、とっくの昔にもっと将棋は衰退していたでしょう。目に見えない何かを感じ取っていたからこそ、現代まで将棋は指されているのでしょうし、それが必要だったからこそ親から子へ、子から孫へと受け継がれてきたのかもしれません。
興味のある内容だけに、一気読みでした。
電王戦Ⅱが注目され、結果がテレビや新聞等のメディアで取り上げられたのでタイムリーな感じの一冊ですが、内容としては電王戦Ⅱが始まる大分前に書かれたようです。
将棋の女流プロである清水市代6段が「あから2010」という将棋ソフトと対戦したことは、電王戦を見ていたときに知りました。そのときは、「あから2010」という「単体のプログラム」と対戦したと思っていましたが、まさかの合議制ソフトだったのは驚きです。
清水さんの対戦を中心に、人工知能やこれまでの将棋ソフトの変遷、これからの人工知能の行く末と、コンピューターと人間の将棋の関わり方が書かれています。
この本を読まなくてはいけない人は、先日の電王戦を見て将棋の未来に悲観的な考えを持った人でしょうね。清水さんは「あから2010」に負けてしまいましたが、そこに悲壮感は感じさせず、自分の殻を破ったような印象さえ感じさせています。プロの覚悟、将棋会の未来、将棋への思い、それらが敗れたという事実すら霞ませてしまう対局だったのでしょう。
正直なところ、おそらく近い将来にはアマチュアがソフトに勝つことはできなくなる未来が来るはずです。プロですら、トッププロに近い位置にいる人を除いて、全く勝てないようになるかもしれません。
それでも、勝敗だけが将棋というゲームの全てではないでしょう。この本にも書かれていますが、対極に臨む姿勢や、人としての礼儀、そのような目に見えないことが大事だったりします。
昔、俺が子供の頃は、ほとんどの男子は将棋のルールくらいは知っていました。始まる前には「お願いします」、終局すれば「ありがとうございました」、そんな普通のやり取りを覚えていたように記憶しています。
勝敗だけでファンを惹きつけるのであれば、とっくの昔にもっと将棋は衰退していたでしょう。目に見えない何かを感じ取っていたからこそ、現代まで将棋は指されているのでしょうし、それが必要だったからこそ親から子へ、子から孫へと受け継がれてきたのかもしれません。
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